2012年08月05日

日本サッカー男女ベスト4

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 サッカー男子、日本はエジプトにを3−0で完封。なでしことともに4強に進出した。

 前半14分、MF清武のクロスを受けたFW永井謙佑(23=名古屋)が右足で先制ゴール。後半にはDF吉田麻也(23=VVV)、FW大津祐樹(22=ボルシアMG)も続き、突き放した。

 68年メキシコ大会以来の4強進出。次戦に勝てば、銀メダル以上が確定する。負けても3位決定戦で銅メダルの可能性が残る。 

 この快挙は、なでしこのワールドカップ優勝の影響が大きい。なでしこのワールドカップ優勝時にも記事を書いたのだが、現代の若者が育った背景が、もはや昔のものではなく、サッカーのような連続動作に対応する身体特性と、そこから生まれる動作特性が可能になっているのかもしれない。そして、なでしこの世界一で、サッカー選手、関係者、そして応援する我々のサッカーに対する心理的障壁が外れたのだ。なでしこの世界一は、日本サッカーが世界で通用することに覚醒した瞬間だった。その後の日韓戦の記事のように、日本男子サッカーが世界一に輝く日が近いのかもしれない。

2012年08月03日

競技スポーツの限界

pimg_2009_1_1.jpg ロンドンオリンピックも前半戦が終了。いよいよ、陸上競技がはじまる。日本選手の活躍に一喜一憂する毎日だ。水泳はメダルラッシュ、体操競技では、団体戦でのミスを帳消しにし、個人総合で金メダルを獲得した内村航平選手の精神力には驚かされた。後半戦の日本選手の活躍も楽しみである。

 さて、柔道競技では判定が覆る事態が発生、体操競技でも日本コーチの抗議によって団体で銀メダルをが確定、バドミントン女子ダブルスでは「無気力試合」により4組8人の選手が失格となった。

 武道を実践している立場からは、これらの事態は競技スポーツの限界が見えてくる。競技とは客観的な優劣によって勝敗を決定する。客観的な優劣とは、言うまでもなく可視的な優劣である。しかし、武道は元来、客観的な優劣とは別の価値(評価)体系を持つことを特性とする。その一つが、技の洗練度である。武道の修練は技の精度を上げていくことだ。これはスポーツも同様である。しかし、武道では、その技の洗練度と可視的な優劣は必ずしも一致しないことを前提とする。よって、勝負に勝つことは、決して第一義とはならない。日本の伝統的身体運動文化をみると、勝敗にはそれほど固執していなかったことがわかる。勝敗よりも技の洗練度(完成度)を課題とした。著書にも紹介したのだが、日本の「水錬」には、明治時代に競泳が入ってくるまでは、速く泳ぐという観点はなかった、速さという客観ではなく、それぞれの泳法を極めることを目的とした。

 柔道では、相手の背中の大部分が畳に接することが「一本」の条件である。よって、競技としての柔道は技の洗練度よりも、相手の背中を畳に接することが第一義となる。20年ほど前に九州の著名な柔道家(当時80歳代であった)とお話をさせていただくことがあった。

「技が完全にかかると相手が回転しすぎて、背中から落ちないことがある。現在のルールでは一本ではないが、技の完成度から昔は一本と判定する審判も多かった・・・・」

 さらに、武道の技の洗練は、その目的を相手を殺傷することから、自身および自他を統一することに向かうことになる。よって、その技の評価は、相手への作用も超えることとなる。つまり、「相手を打っても打たなくても」・「相手の背中が畳に接しても接しなくても」・「矢が的に当たっても当たらなくても」、その技は同等の評価を得ることとなるのだ。柔道の試合を見ながら、武道の「競技化」の限界とともに、客観的優劣を離れることはないであろう競技としてのスポーツの限界もみえてくる。

2012年07月22日

武道と人間形成

 先日から、有名剣道家の不祥事が伝えられた。「剣道は人間形成が目的なのに・・・」という論評が聞こえてくる。しかし、批判を恐れずに言えば「武道によって人間形成がなされる」というのは錯覚だ。さらに正確に言えば、「武道の技術性の修練によって人間形成をがなされる」ことはない。

 武道(剣道)の修練によって形成される人間とは、どのようにイメージするであろうか。「武士的な人格」というようにイメージするかもしれない。武道を真面目に取り組むことによって「道徳的精神性」や「伝統的行動様式」が身についた武士のような人間をイメージするであろう。ところが、武道の修練によって、そのような人格が形成されるのではない。昔の武士は、生まれながらにして「武士的な人格」が形成されるように教育を受けていた。「武士的な人格」を持った人間が剣術(剣道)などの武道を修錬していたと考えるのが自然である。

 「武道をすれば人間形成がなされる」と感じるのは、武道の修行体系に多くの「統一化された行動様式」が含まれるからである。例えば、道場への入り方、整列の順番、正座の仕方、稽古前の礼法などだ。これらの「統一化行動様式」、つまり稽古のための決まりごとが多いために、私たちは「武道をすれば人間形成がなされる」と錯覚するのだ。

 よって、剣道(武道)によって人間形成がなされるためには、技術の修練の周辺、つまり稽古の前後などで、人間としてまたは武道家としての心構えを教授する必要がある。この武道の技術構造と人間形成の関係を理解しないと、明治時代に文部省が何度も指摘しているように、剣道(武道)の修練によって「粗暴な人格」をつくることになりかねない。

 武道によって人間形成がなされるというのは、「武道によって人間形成がなされることが望ましい」という逆説的な意味なのかもしれない。「逆説の武道(剣道)観」が必要である。

2012年07月18日

フォアフット走法(2)

 先日(2012年7月16日)、NHK放送の「ミラクルボディー」において、ケニア・エチオピア勢のマラソンランナーについての内容が放映された。翌日の、このHPへの検索ワードの第1位は「フォアフット」、第2位が「フォアフット走法」。この二つで全体の半数近くをしめる。以前、フォアフット走法が注目されてたときに書いた記事にも、この半年、多くのアクセスがあったのだが、昨日は異常に多かった。「ミラクルボディー」をご覧になった方々が検索されたものと思う。

 先日の「プレミアム」に配信したのだが、今回は同様の内容を記載する。先日の放送では、ケニヤやエチオピアのトップランナーがフォアフット(前足部)から接地していることが強調されていたが、結論から言うと、日本人ランナーが彼らの真似をすることは難しい。まず、黒人選手と骨格が異なることを無視している。黒人選手の骨盤は著しく前傾している。そのために、走行中の体幹に対する足部の位置関係が異なる。(接地位置とタイミングが異なる)

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 実は、江戸時代の飛脚も前足部で着地していたと考えられる。現在のランナーのような走りとは違っていた。シューズがなく、道路事情もはるかに悪かった当時は、ヒールコンタクトは危険であったのかもしれない。そして、飛脚のフォアフット着地を可能にしていたのが、「担ぎ棒」である。「担ぎ棒」の使用により、体幹自体を前傾させていた。それでも、資料によると現在のマラソン選手の5割程度の速さだ。

 また、黒人選手は足関節の可動域が狭い。日本人ランナーがフォアフット走法を試みると、脹脛の筋群を使用して足部を伸展方向に支える必要がある。黒人選手はフォアフットしているのではなく、自然とフォアフットになるものと解釈すべきだ。また、フォアフットというと誤解を生む。高速度カメラの映像ではフォアフットから着地してるが、フラットととらえてよい。踵は接地している。さらに、腱の強(硬さ)が異なる。日本人選手がマラソンにおいてフラット着地(フォアフット傾向)に耐えるだけの腱を保持しているかどうかは疑わしい。

 私たちは「動作特性」にばかり目が行きがちだ。しかし、その「動作特性」を支える「身体特性」を見据える必要がある。 昨日の放送で、また多くの日本人ランナーがフォアフットを試みるであろう。負傷しないことを祈らざるを得ない。 

以前のフォアフット記事

2012年06月23日

順回転常歩(なみあし)

 常歩(なみあし)走歩行には、順回転と逆回転があることをご存知でしょうか。私たちが公表している常歩(なみあし)は逆回転常歩です。肩や腕(手)が進行方向に対してタイヤが逆に回転するように動作します。しかし、車のタイヤが回るように順回転する常歩もあります。神戸のKCC(神戸新聞文化センター)での講習では、順回転から逆回転に移行したほうが分かりやすいという受講生からの声が多くありました。

 (順回転常歩=ネット内講座より)

 上の動画をご覧ください。順回転の常歩(なみあし)です。この順回転から逆回転に移行していきます。しかし、最近、この順回転も独立した走歩行の一つではないかと考えるようになりました。

 剣道の打突動作理論で、森田文十郎先生が「対角線活動」ということを提唱されました。「対角線活動」とは、一般には、上肢と下肢の関係と理解されています。右足と左手、左足と右手が同方向に動くということです。しかし、森田先生の著書を読み込むと、その原理は上肢と下肢の関係ではなく、骨盤と上肢の関係を言われています。

 右腰と左上肢、左腰と右上肢の関係です。つまり、腰(骨盤)の動きによって同側の手足が同時に同方向に動く走歩行が出現することを示唆しています。着地足側の腰が前進する走歩行は、まず順回転をトレーニングするといいと思います。そして、ひょっとすると、重心の移動を会得すれば、順回転も合理的な走りになると考えられます。どなたか、試していただける方はおりませんでしょうか。

2012年06月15日

右の膝下外旋

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 今日は剣道実技の授業。スポーツ学部の剣道部員に、膝の抜きでの後退を伝授。右自然体の中段の構えから、右膝を抜きつつ後退します。今日は、稽古着・袴ではなく、体操服(ジャージ)を着用してくるように指示していました。

 女子部員の右の膝がスムーズに抜けません。「膝を見せてみろ〜〜」。足先を前方に揃えて立ってもらいました。写真では、少しわかりにくいですが、右の膝だけ、約45度内側に・・。つまり、右の股関節だけ内旋位にあることを意味します。

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 次に、左右の膝頭を正面に向けさせると、上の写真のように、右足先だけ45度外を向きます。右だけ、著しい膝下外旋です。

 「小さいころから、どんな座り方をしてきたかやってみて〜」・・・。

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 予想通り、左股関節を外旋、右股関節を内旋させた、横座りでした。この選手の場合、左股関節は正常なので、左を多少外旋させた構えから、素早い打突が可能です。しかし、もし左が同様に内旋位にあると、とても打突がしにくいと思われます。

 日頃、選手たちは袴を着用していますから、下肢の状態が把握しにくいですが、袴を着用させないでの指導も大切だと痛感しました。右の膝下外旋を補うストレッチを指導しました。

2012年05月09日

長距離走ってもあまり疲れない・・・

 以前、二軸のサッカーを積極的に取り入れて、インターハイに出場し名門復活した「浦和南高校」の記事を掲載しました。当時、コーチをされていた福島先生が、現在、熊谷高等学校で体育科でサッカーがご専門の高田優二先生とともにサッカー部をご指導されています。 私の知る限り、二軸にトレーニングをチームに取り入れてもっとに成果をあげられている指導者のお一人です。先生から嬉しい報告がありました。

 熊谷高校のサッカー部では、3年生が1500mで5分を切る者が続出しているみたいです。さらに、一見、手を抜いているように見える(らしい)2年生からは、4分50秒を切る者が次々と・・・・・。2年生の中には去年よりタイムが1分速くなった子もいるとか。

 1人のサッカー部員が福島先生に

「先生、2軸で走ると長距離も速くなるんですか?1500m走ってもあまりくたくたになりません。去年は走り終わった後に気持ち悪くなるほど疲れました。」

と報告してくれたとか。サッカーの方も効果はてきめんで、1年生と上級生を比べると、上級生は力みのかい動きだそうです。

熊谷サッカー.bmp

 上の写真をクリックしてください。熊谷高校サッカー部のHPにジャンプします。

2012年02月29日

「美しい」ということ

 以前、バレエの専門家の方とお会いしことがある。その方のお父様は著名な剣道家であった。彼女は30年ぶりに、全日本の大学剣道大会を見学したそうだ。私に会うなり開口一番に発した言葉は衝撃的であった。

「剣道って、なんで汚くなったんですか。昔の剣道は美しかった・・・」

 彼女は小さい時から剣道を見て育っている。そして、今はバレエの専門家として活躍されている。身体動作と芸術を観る目は本物だ。その彼女が、今の剣道は美しくないと言うのだ。

 そういえば、私たちが若い頃は、「剣道が美しい」というのは先生方の褒め言葉だった。「君の剣道は美しい」と言われることが、最高に嬉しかった。

 しかし、それから10年も経つと、「剣道が美しい」というのは、褒め言葉ではなくなった。「あの選手は、剣道が美しい(きれいだ)から試合に勝てないんだ」、「試合に勝ちたかったら、もっと剣道を崩して・・・」などと言われるようになっていった。

 確かに、以前は、強い・弱い・勝つ・負ける、という他に、剣士たちの中に「美しい」という価値観が明確にあったと思う。そして、それは何よりも優先され、剣士たちが追い求めるものであった。

 小田伸午先生が「一流選手の動きはなぜ美しいのか」(角川選書)を発刊された。確かに、トップ選手らの動作は美しい。今年はオリンピックが開催される。私も、開催を心待ちにしているひとりだ。私たちは、何を心待ちにしているのであろうか。自国の選手を応援したい。白熱した勝負を観戦したい。しかし、根源では、トップアスリートが表現する「動作美」を心待ちにしているのかもしれない。

 動作だけではなく、真理は美しいものだ。「美」は「真」である。真理の追求と美の追求は一致する。「日本人の誇り」(藤原正彦著・文春新書)に「美」に関する一節がある。

 「万物を切り刻んでいくと究極的にはスーパーストリングと呼ばれる震える弦のようなものになる」という「超弦理論」を提唱するエドワード・ウィッテン博士との会話が紹介されている。

「あなたの理論が正しいと実験や観測によって確かめられるのはいつごろになりますか」

「5百年たっても無理かもしれません」

藤原先生は驚いて、さらに尋ねた。

「そんな理論を正しいとあなたが信ずる根拠は何ですか」

「美しいからです。あれほど数学的に美しい理論が真理でないはずがないからです」

また、ニュートンも

「宇宙は神が数学の言葉で書いた聖書だ。神が書いたのだから美しくないはずがない」

と語ったとも伝えられている。

 藤原先生ご自身も、

政治、経済から自然科学、人文科学、社会科学まで、真髄とは美しいものだ・・・。

と述べている。

 私は、スポーツや武道などの身体運動文化は、決して勝敗が一義ではないと説いてきた。勝敗とは異なる、価値体系が存することも実感してきた。しかし、それが何かはかりかねていた。その根源と解決は「美」なのかもしれない。

 この記事の最後に「一流選手の動きはなぜ美しいのか」の「あとがき」より文末の一節を引用させていただくこととしよう。

 

 スポーツの主観と客観の織りなす美しさに、美(よ)き人生を重ねあわせ感じていただけたら、望外の喜びです。主観と客観の往復列車の乗り心地の美(うま)きことを祈っております。 

                                       (小田伸午)

2012年01月24日

錦織選手、全豪ベスト8・・飛躍のカギは「脱力」?

にしこり.jpg 世界ランク26位の錦織圭(22=フリー)が、4大大会初のベスト8進出を決めた。同6位ジョーウィルフリード・ツォンガ(26=フランス)を、2−6、6−2、6−1、3−6、6−3で撃破。8強入りは1932年の佐藤次郎、布井良助以来80年ぶり。 

 各新聞やTVの報道は、昨年12月に米シカゴに飛び、陸上ハンマー投げの室伏広治を指導する理学療法士ロバート・オオハシ氏のもとで10日間ラケットを握らず体幹トレーニングを積んだことを伝えている。錦織選手自身も「意外と疲れていないんです。トレーニングの成果がこんなに早く出るとは。ツアーに慣れてきたというのもあるし、確実に、強くなっている証しだと思います。体力面で大丈夫、というのは本当に力強いですね。」と語っている。

 また、ある新聞社の取材で興味深いことも語っている。昨年11月の上海の大会1回戦。0−6、1−4で負けかけた時に、自然と力が抜けたらしい。50〜60%の力でストロークすることで、腕に余分な力が入らなくなった。肘から先をしならせることが可能となり、力を入れなくてもボールが飛び、ストロークも安定したそうだ。昨日の試合後、錦織選手は、「この日も50〜60%ぐらいの力で打っていましたね。さすがに攻められて、緊張も多少はあったけど、リラックスしてストロークはできました。この形が通用して、勝てているわけなので、テニスがしっかりしてきたなとは感じています。これが世界のトップ4相手に通じるかは分からないですけど。」と語っている。

  戦後、松岡修造に続く日本人2人目の4大大会ベスト8の快挙。錦織選手の体力強化が注目されているが、その裏に本人が語っているように「脱力」があることは確かである。「脱力」とは「内力」の脱力である。決して、発揮される「力」を弱めることではない。

 錦織選手のショットに注目することにしよう。

 

2012年01月19日

「片踏み」と「歩み足」

 先日も「歩み足」について書いたのだが、武道(武術)では、左右の足を交差させる足さばきを「歩み足」と言う(普通に歩くような足さばきの意味だ)。現代剣道において、「歩み足」は特別な場合を除いては使用してはならない「足さばき」とされている。通常は送り足を用いる。例えば、右足を踏み出したら左足は右足を追い越してはならない。常歩による剣道を提唱して、様々な「足さばき」が可能になることを説いてきた。それ以来、「歩み足」による剣道が注目されるようになった。

 しかし、多少誤解があるように思う。合理的身体操作による「足さばき」とは決して「歩み足」だけではない。現代剣道の「送り足」も合理的な足さばきなのである。
 「送り足」や「歩み足」等は、下肢の動きでの分類だ。しかし、身体動作学の立場からいえば、四肢の動きから離れなければその要諦はわからない。一般的に現代剣道で「歩み足」と言われている足さばきは「片踏み」のことだ。右自然体(半身)のまま前進する。つまり、現在、剣道において「送り足」も一般的に解釈されている「歩み足」も同じ足さばきと言える。
 本来の「歩み足」というのは「片踏み」ではなく、左右の「単え(ひとえ)身」(半身)によって結果として現れる。右の「単え身」では右足が前に、左の「単え身」では左足が前に位置することになる。それが「歩み」に見えるだけだ。この左右の「単え身」による「歩み」を習得すると、実践者は全く歩みを意識しなくなる。

 表出する動作は「そうなるのであってそうするのではない」。

一本歯(後歯)下駄