2013年09月17日

立食パーティーにおける水の入ったグラスの保持は立位姿勢の動揺を小さくする

九体(大下).jpg 先日(2013年9月13日〜15日)、九州共立大学で開催されました「九州体育・スポーツ学会」において、大下和茂先生(筆頭発表者)・山口恭平先生(共に九州共立大学スポーツ学部)とともに「立食パーティーにおける水の入ったグラスの保持は立位姿勢の動揺を小さくする」のタイトルで発表を行いました。

 この実験は、3月の卒業謝恩パーティーの際に、大下先生との「なぜヒトは立って呑むのか・・・」という雑談から始まりました。その後、大下先生が学生を被験者として実験を行いました。対象者は女子学生37名。対象者は閉眼状態(目隠しをした状態)で20秒間の右足立ちを3分の休憩をはさんで2回行いました。2回目について、21名は(COM群)は同様の片足立ちを行い、16名(WA群)は180mlの水が入った250ml容量のグラスを左手で保持して片足立ちを行いました。各20秒間の中間10秒間の足圧中心点の平均動揺速度(COP-V)を算出しました。

 その結果、CON群においては有意な差が認められませんでした(平均9.78p/s・平均10.06p/s)が、WA群では、グラスを保持することで有意にCOP-Vがの低下が認められました(平均9.93p/s・平均8.80p/s,P=0.01)。

 この結果は、身体動揺がグラスを保持した手指から知覚され、COP-Vが小さくなった可能性を示しており、ヒトのバランス感覚の向上に応用できる可能性を示しています。例えば、高齢者が歩行時に杖を使用することも、杖により地面に支点をつくり安定をはかるだけでなく、杖を保持すること自体に姿勢を安定させる機能があるのかもしれません。

 今回の発表により、大下和茂先生は「若手優秀発表賞」を受賞されました。おめでとうございました。

2013年07月24日

屈曲動作と履物

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 前近代の日本には様々な歩行形態があったことが分かってきました。現代人は、「歩き」というと、老若男女それほど違うとは感じてないかもしれませんが、江戸時代までの日本には、現代にはない「歩様」(歩行の形態)があったと考えられるのです。そのなかに「からだにやさしい歩き方」や「スポーツのパフォーマンス」の基礎となる「歩き」がありました。それは、「屈曲動作(感覚)」による歩きです。

 現代人のほとんどが、股関節・膝関節・足関節を伸展方向にアクセントがある「伸展動作(感覚)」による歩きをしているのに対し、「屈曲動作(感覚)」による歩きは、それらの関節を屈曲方向に積極的に動作させます。この「屈曲動作(感覚)」によって、可能な限り「内力」以外の「力」を用いた「歩行」が実現します。

 しかし、多くの現代人はこの「屈曲動作(感覚)」による歩きができません。「屈曲動作(感覚)」による心地よい感覚を体験できない方がほとんどです。

 その原因の一つが履物の変化です。昔の日本人は「草履」「草鞋」「足半」などを着用していました。これらの履物を着用すると、シューズの場合と違い、足趾(足の指)が屈曲(底屈)方向に動くのです。屈曲方向とは地面をつかむように動くことです。これは、これらの履物に鼻緒がついていることや、草鞋や足半が台座から足の指がはみ出すようにつくられていることによります。これらの構造により歩行時に足趾が地面をつかむように動きます。このことによって足関節も膝関節も股関節も屈曲方向にアクセントがある動きになります。

 スポーツ選手らを指導するときに、裸足になって歩いてもらいます。すると、ほとんどの選手は歩行のサイクルで足趾が屈曲(底屈)する局面がありません。足関節や膝関節を積極的に屈曲方向につかうことができません。すると興味深いことが起こります。ゆっくり走ることができないのです。

 五体治療院の小山田良治氏は「LSD」を提唱されています。「LSD」とはゆっくり走ることです。「Long Slow Distance」の略です。選手に歩くより遅い速さ(3.6Km/h程度)で走ってもらいます。すると足趾が屈曲(底屈)しない選手はゆっくり走ることができません。膝を上手く屈曲させて下腿を前に倒すことができないのです。ゆっくり走ることによって「屈曲動作(感覚)」の土台がつくられます。

 上の右下は、アシックスのVFT構造のシューズです。足趾が屈曲(底屈)するような構造になっています。

2013年04月26日

偏平足

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 授業で足の話をしましたら、終了後学生が研究室をたずねてきました。陸上競技の投擲の選手です。彼は偏平足で悩んでいました。上の写真のように、全く土踏まずがありません。

 踵骨まわりの骨の位置関係が崩れているため、典型的な過剰回内足になっています。スネが内旋しています。しかし、男性ですので股関節の外旋が保たれ、膝頭はほぼ正面を向いています。しかし、この状態は膝に大きな負担をかけることになります。

 シューズの中に、高価なオーダーメイドのインソールを着用していました。内アーチを直接持ち上げるタイプのインソールです。しかし、アーチを直接持ち上げるタイプのインソールは、持ち上げている反作用で、アーチをさらに落とす結果になります。シューズを履いているときはいいですが、偏平足は改善されるどころか、ますます助長されます。

 これまで、何人もの方から、同様のご相談を受けてきました。考えさせられる課題です。

2013年04月13日

九州共立大学剣道部新入生歓迎試合

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 九州共立大学剣道部新入生歓迎試合が行われました。本年度は男子10名、女子6名の16名の新入生を迎え、剣道部も40名を超えました。

 写真は、今年の一年生チーム、在校生と勝ち抜きの試合にのぞみました。これから4年間、九州共立大学剣道部で修行することになります。武道の稽古の基本は、お互い相対して感じあうこと。今年度は、できるだけ多くの学生と相対したい思います。指導者ができることは、環境をつくること。「楽之真也」、真剣にこころから剣道を楽しんでもらいたいと思います。

2013年03月01日

ボウリングのアウトステップ

ボウリング2.jpg フェリーで新門司港から大阪南港へ、今回の移動の目的は自身の修論発表会なのですが、有元勝氏がボウリングの関西女子オープンに向かうとのことで、ご一緒いたしました。

 フェリーでは、同大会に向かう女子プロと遭遇・・、いつの間にかフィニッシュのアウトステップの話へ。女子プロの方は、何度も動作を繰り返しておられました。あらゆるスポーツで投球動作ではアウトステップする(インステップしない)ことが最近言われるようになっている。ボウリングでもアメリカのトップ男子プロなどはアウトステップに踏むらしい。アウトステップを可能にするのは、明らかにからだの左右操作の意識と感覚だと思います。

 それにしてもボウリング動作は興味深い、重いボールを扱うために、それぞれの身体操作が大きく働きます。他のスポーツで可視できない動作が表出してきます。ボウリングの方々とお話をしていると、「ボウリングは技術的に遅れている」と感じておられるようですが、そんなことはありません。他のスポーツでも大差ないと思います。そして、皆さんとても貪欲に新しい技術を求めておられるように感じます。私たちの実践がすこしでもお役に立てれば幸いです。

2013年02月27日

川添将太と挑む世界のトップボウリング

川添将太と挑む.jpg 先日、ボウリングプロコーチの有元勝氏をお会いしたことを記事にしました。その後、メールなどで交流しておりますが、ボウリング動作には、他のスポーツの動作を解くカギが含まれていることがわかってきました。

 ボウリングのボールは約7キロ、他のスポーツでは重いボールなどを扱う競技は、砲丸やハンマー投げ、やり投げなど、距離を競うものがほとんどです。コントロールはそれほど要求されません。ですから、いかにからだを効率よく回転させるのかということが主眼になってきます。

 しかし、ボウリングでは距離ではなく、ボールのスピード(威力)とピンポイントのコントロールが要求されます。そういう意味では、とても特異な競技と言っていいでしょう。

 重いボールを投球する際にはあらゆる方向に回転が加わります。この回転はすべてのスポーツでみられるのですが、一般には、シューズと地面の摩擦などでその回転トルクを補償してしまいます。ですから、プレーヤーもコーチもほとんど意識しなくても問題はありません。しかし、ボウリングではその回転トルクをいかに補償し安定させることができるかでコントロールが決まってきます。この回転トルクを補償する動作は、他のスポーツにも応用できると考えられます。

 有元コーチは、外国人選手の分解写真を分析するなどして、独自のコーチング技術を開発されているようです。ご自分ではプロ選手のご経験はありませんが、現在では多くのプロ選手から師事され全国を回ってコーチングをされています。有元コーチが多くの選手に知られるようになったきっかけが、「川添え将太と挑む世界トップ(PBA)ボウリング」です。有元コーチのボウリングに対する情熱が伝わってきます。

2012年08月05日

日本サッカー男女ベスト4

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 サッカー男子、日本はエジプトにを3−0で完封。なでしことともに4強に進出した。

 前半14分、MF清武のクロスを受けたFW永井謙佑(23=名古屋)が右足で先制ゴール。後半にはDF吉田麻也(23=VVV)、FW大津祐樹(22=ボルシアMG)も続き、突き放した。

 68年メキシコ大会以来の4強進出。次戦に勝てば、銀メダル以上が確定する。負けても3位決定戦で銅メダルの可能性が残る。 

 この快挙は、なでしこのワールドカップ優勝の影響が大きい。なでしこのワールドカップ優勝時にも記事を書いたのだが、現代の若者が育った背景が、もはや昔のものではなく、サッカーのような連続動作に対応する身体特性と、そこから生まれる動作特性が可能になっているのかもしれない。そして、なでしこの世界一で、サッカー選手、関係者、そして応援する我々のサッカーに対する心理的障壁が外れたのだ。なでしこの世界一は、日本サッカーが世界で通用することに覚醒した瞬間だった。その後の日韓戦の記事のように、日本男子サッカーが世界一に輝く日が近いのかもしれない。

2012年08月03日

競技スポーツの限界

pimg_2009_1_1.jpg ロンドンオリンピックも前半戦が終了。いよいよ、陸上競技がはじまる。日本選手の活躍に一喜一憂する毎日だ。水泳はメダルラッシュ、体操競技では、団体戦でのミスを帳消しにし、個人総合で金メダルを獲得した内村航平選手の精神力には驚かされた。後半戦の日本選手の活躍も楽しみである。

 さて、柔道競技では判定が覆る事態が発生、体操競技でも日本コーチの抗議によって団体で銀メダルをが確定、バドミントン女子ダブルスでは「無気力試合」により4組8人の選手が失格となった。

 武道を実践している立場からは、これらの事態は競技スポーツの限界が見えてくる。競技とは客観的な優劣によって勝敗を決定する。客観的な優劣とは、言うまでもなく可視的な優劣である。しかし、武道は元来、客観的な優劣とは別の価値(評価)体系を持つことを特性とする。その一つが、技の洗練度である。武道の修練は技の精度を上げていくことだ。これはスポーツも同様である。しかし、武道では、その技の洗練度と可視的な優劣は必ずしも一致しないことを前提とする。よって、勝負に勝つことは、決して第一義とはならない。日本の伝統的身体運動文化をみると、勝敗にはそれほど固執していなかったことがわかる。勝敗よりも技の洗練度(完成度)を課題とした。著書にも紹介したのだが、日本の「水錬」には、明治時代に競泳が入ってくるまでは、速く泳ぐという観点はなかった、速さという客観ではなく、それぞれの泳法を極めることを目的とした。

 柔道では、相手の背中の大部分が畳に接することが「一本」の条件である。よって、競技としての柔道は技の洗練度よりも、相手の背中を畳に接することが第一義となる。20年ほど前に九州の著名な柔道家(当時80歳代であった)とお話をさせていただくことがあった。

「技が完全にかかると相手が回転しすぎて、背中から落ちないことがある。現在のルールでは一本ではないが、技の完成度から昔は一本と判定する審判も多かった・・・・」

 さらに、武道の技の洗練は、その目的を相手を殺傷することから、自身および自他を統一することに向かうことになる。よって、その技の評価は、相手への作用も超えることとなる。つまり、「相手を打っても打たなくても」・「相手の背中が畳に接しても接しなくても」・「矢が的に当たっても当たらなくても」、その技は同等の評価を得ることとなるのだ。柔道の試合を見ながら、武道の「競技化」の限界とともに、客観的優劣を離れることはないであろう競技としてのスポーツの限界もみえてくる。

2012年07月22日

武道と人間形成

 先日から、有名剣道家の不祥事が伝えられた。「剣道は人間形成が目的なのに・・・」という論評が聞こえてくる。しかし、批判を恐れずに言えば「武道によって人間形成がなされる」というのは錯覚だ。さらに正確に言えば、「武道の技術性の修練によって人間形成をがなされる」ことはない。

 武道(剣道)の修練によって形成される人間とは、どのようにイメージするであろうか。「武士的な人格」というようにイメージするかもしれない。武道を真面目に取り組むことによって「道徳的精神性」や「伝統的行動様式」が身についた武士のような人間をイメージするであろう。ところが、武道の修練によって、そのような人格が形成されるのではない。昔の武士は、生まれながらにして「武士的な人格」が形成されるように教育を受けていた。「武士的な人格」を持った人間が剣術(剣道)などの武道を修錬していたと考えるのが自然である。

 「武道をすれば人間形成がなされる」と感じるのは、武道の修行体系に多くの「統一化された行動様式」が含まれるからである。例えば、道場への入り方、整列の順番、正座の仕方、稽古前の礼法などだ。これらの「統一化行動様式」、つまり稽古のための決まりごとが多いために、私たちは「武道をすれば人間形成がなされる」と錯覚するのだ。

 よって、剣道(武道)によって人間形成がなされるためには、技術の修練の周辺、つまり稽古の前後などで、人間としてまたは武道家としての心構えを教授する必要がある。この武道の技術構造と人間形成の関係を理解しないと、明治時代に文部省が何度も指摘しているように、剣道(武道)の修練によって「粗暴な人格」をつくることになりかねない。

 武道によって人間形成がなされるというのは、「武道によって人間形成がなされることが望ましい」という逆説的な意味なのかもしれない。「逆説の武道(剣道)観」が必要である。

2012年07月18日

フォアフット走法(2)

 先日(2012年7月16日)、NHK放送の「ミラクルボディー」において、ケニア・エチオピア勢のマラソンランナーについての内容が放映された。翌日の、このHPへの検索ワードの第1位は「フォアフット」、第2位が「フォアフット走法」。この二つで全体の半数近くをしめる。以前、フォアフット走法が注目されてたときに書いた記事にも、この半年、多くのアクセスがあったのだが、昨日は異常に多かった。「ミラクルボディー」をご覧になった方々が検索されたものと思う。

 先日の「プレミアム」に配信したのだが、今回は同様の内容を記載する。先日の放送では、ケニヤやエチオピアのトップランナーがフォアフット(前足部)から接地していることが強調されていたが、結論から言うと、日本人ランナーが彼らの真似をすることは難しい。まず、黒人選手と骨格が異なることを無視している。黒人選手の骨盤は著しく前傾している。そのために、走行中の体幹に対する足部の位置関係が異なる。(接地位置とタイミングが異なる)

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 実は、江戸時代の飛脚も前足部で着地していたと考えられる。現在のランナーのような走りとは違っていた。シューズがなく、道路事情もはるかに悪かった当時は、ヒールコンタクトは危険であったのかもしれない。そして、飛脚のフォアフット着地を可能にしていたのが、「担ぎ棒」である。「担ぎ棒」の使用により、体幹自体を前傾させていた。それでも、資料によると現在のマラソン選手の5割程度の速さだ。

 また、黒人選手は足関節の可動域が狭い。日本人ランナーがフォアフット走法を試みると、脹脛の筋群を使用して足部を伸展方向に支える必要がある。黒人選手はフォアフットしているのではなく、自然とフォアフットになるものと解釈すべきだ。また、フォアフットというと誤解を生む。高速度カメラの映像ではフォアフットから着地してるが、フラットととらえてよい。踵は接地している。さらに、腱の強(硬さ)が異なる。日本人選手がマラソンにおいてフラット着地(フォアフット傾向)に耐えるだけの腱を保持しているかどうかは疑わしい。

 私たちは「動作特性」にばかり目が行きがちだ。しかし、その「動作特性」を支える「身体特性」を見据える必要がある。 昨日の放送で、また多くの日本人ランナーがフォアフットを試みるであろう。負傷しないことを祈らざるを得ない。 

以前のフォアフット記事

一本歯(後歯)下駄