2012年06月23日

順回転常歩(なみあし)

 常歩(なみあし)走歩行には、順回転と逆回転があることをご存知でしょうか。私たちが公表している常歩(なみあし)は逆回転常歩です。肩や腕(手)が進行方向に対してタイヤが逆に回転するように動作します。しかし、車のタイヤが回るように順回転する常歩もあります。神戸のKCC(神戸新聞文化センター)での講習では、順回転から逆回転に移行したほうが分かりやすいという受講生からの声が多くありました。

 (順回転常歩=ネット内講座より)

 上の動画をご覧ください。順回転の常歩(なみあし)です。この順回転から逆回転に移行していきます。しかし、最近、この順回転も独立した走歩行の一つではないかと考えるようになりました。

 剣道の打突動作理論で、森田文十郎先生が「対角線活動」ということを提唱されました。「対角線活動」とは、一般には、上肢と下肢の関係と理解されています。右足と左手、左足と右手が同方向に動くということです。しかし、森田先生の著書を読み込むと、その原理は上肢と下肢の関係ではなく、骨盤と上肢の関係を言われています。

 右腰と左上肢、左腰と右上肢の関係です。つまり、腰(骨盤)の動きによって同側の手足が同時に同方向に動く走歩行が出現することを示唆しています。着地足側の腰が前進する走歩行は、まず順回転をトレーニングするといいと思います。そして、ひょっとすると、重心の移動を会得すれば、順回転も合理的な走りになると考えられます。どなたか、試していただける方はおりませんでしょうか。

2012年06月15日

右の膝下外旋

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 今日は剣道実技の授業。スポーツ学部の剣道部員に、膝の抜きでの後退を伝授。右自然体の中段の構えから、右膝を抜きつつ後退します。今日は、稽古着・袴ではなく、体操服(ジャージ)を着用してくるように指示していました。

 女子部員の右の膝がスムーズに抜けません。「膝を見せてみろ〜〜」。足先を前方に揃えて立ってもらいました。写真では、少しわかりにくいですが、右の膝だけ、約45度内側に・・。つまり、右の股関節だけ内旋位にあることを意味します。

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 次に、左右の膝頭を正面に向けさせると、上の写真のように、右足先だけ45度外を向きます。右だけ、著しい膝下外旋です。

 「小さいころから、どんな座り方をしてきたかやってみて〜」・・・。

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 予想通り、左股関節を外旋、右股関節を内旋させた、横座りでした。この選手の場合、左股関節は正常なので、左を多少外旋させた構えから、素早い打突が可能です。しかし、もし左が同様に内旋位にあると、とても打突がしにくいと思われます。

 日頃、選手たちは袴を着用していますから、下肢の状態が把握しにくいですが、袴を着用させないでの指導も大切だと痛感しました。右の膝下外旋を補うストレッチを指導しました。

2012年05月09日

長距離走ってもあまり疲れない・・・

 以前、二軸のサッカーを積極的に取り入れて、インターハイに出場し名門復活した「浦和南高校」の記事を掲載しました。当時、コーチをされていた福島先生が、現在、熊谷高等学校で体育科でサッカーがご専門の高田優二先生とともにサッカー部をご指導されています。 私の知る限り、二軸にトレーニングをチームに取り入れてもっとに成果をあげられている指導者のお一人です。先生から嬉しい報告がありました。

 熊谷高校のサッカー部では、3年生が1500mで5分を切る者が続出しているみたいです。さらに、一見、手を抜いているように見える(らしい)2年生からは、4分50秒を切る者が次々と・・・・・。2年生の中には去年よりタイムが1分速くなった子もいるとか。

 1人のサッカー部員が福島先生に

「先生、2軸で走ると長距離も速くなるんですか?1500m走ってもあまりくたくたになりません。去年は走り終わった後に気持ち悪くなるほど疲れました。」

と報告してくれたとか。サッカーの方も効果はてきめんで、1年生と上級生を比べると、上級生は力みのかい動きだそうです。

熊谷サッカー.bmp

 上の写真をクリックしてください。熊谷高校サッカー部のHPにジャンプします。

2012年02月29日

「美しい」ということ

 以前、バレエの専門家の方とお会いしことがある。その方のお父様は著名な剣道家であった。彼女は30年ぶりに、全日本の大学剣道大会を見学したそうだ。私に会うなり開口一番に発した言葉は衝撃的であった。

「剣道って、なんで汚くなったんですか。昔の剣道は美しかった・・・」

 彼女は小さい時から剣道を見て育っている。そして、今はバレエの専門家として活躍されている。身体動作と芸術を観る目は本物だ。その彼女が、今の剣道は美しくないと言うのだ。

 そういえば、私たちが若い頃は、「剣道が美しい」というのは先生方の褒め言葉だった。「君の剣道は美しい」と言われることが、最高に嬉しかった。

 しかし、それから10年も経つと、「剣道が美しい」というのは、褒め言葉ではなくなった。「あの選手は、剣道が美しい(きれいだ)から試合に勝てないんだ」、「試合に勝ちたかったら、もっと剣道を崩して・・・」などと言われるようになっていった。

 確かに、以前は、強い・弱い・勝つ・負ける、という他に、剣士たちの中に「美しい」という価値観が明確にあったと思う。そして、それは何よりも優先され、剣士たちが追い求めるものであった。

 小田伸午先生が「一流選手の動きはなぜ美しいのか」(角川選書)を発刊された。確かに、トップ選手らの動作は美しい。今年はオリンピックが開催される。私も、開催を心待ちにしているひとりだ。私たちは、何を心待ちにしているのであろうか。自国の選手を応援したい。白熱した勝負を観戦したい。しかし、根源では、トップアスリートが表現する「動作美」を心待ちにしているのかもしれない。

 動作だけではなく、真理は美しいものだ。「美」は「真」である。真理の追求と美の追求は一致する。「日本人の誇り」(藤原正彦著・文春新書)に「美」に関する一節がある。

 「万物を切り刻んでいくと究極的にはスーパーストリングと呼ばれる震える弦のようなものになる」という「超弦理論」を提唱するエドワード・ウィッテン博士との会話が紹介されている。

「あなたの理論が正しいと実験や観測によって確かめられるのはいつごろになりますか」

「5百年たっても無理かもしれません」

藤原先生は驚いて、さらに尋ねた。

「そんな理論を正しいとあなたが信ずる根拠は何ですか」

「美しいからです。あれほど数学的に美しい理論が真理でないはずがないからです」

また、ニュートンも

「宇宙は神が数学の言葉で書いた聖書だ。神が書いたのだから美しくないはずがない」

と語ったとも伝えられている。

 藤原先生ご自身も、

政治、経済から自然科学、人文科学、社会科学まで、真髄とは美しいものだ・・・。

と述べている。

 私は、スポーツや武道などの身体運動文化は、決して勝敗が一義ではないと説いてきた。勝敗とは異なる、価値体系が存することも実感してきた。しかし、それが何かはかりかねていた。その根源と解決は「美」なのかもしれない。

 この記事の最後に「一流選手の動きはなぜ美しいのか」の「あとがき」より文末の一節を引用させていただくこととしよう。

 

 スポーツの主観と客観の織りなす美しさに、美(よ)き人生を重ねあわせ感じていただけたら、望外の喜びです。主観と客観の往復列車の乗り心地の美(うま)きことを祈っております。 

                                       (小田伸午)

2012年01月24日

錦織選手、全豪ベスト8・・飛躍のカギは「脱力」?

にしこり.jpg 世界ランク26位の錦織圭(22=フリー)が、4大大会初のベスト8進出を決めた。同6位ジョーウィルフリード・ツォンガ(26=フランス)を、2−6、6−2、6−1、3−6、6−3で撃破。8強入りは1932年の佐藤次郎、布井良助以来80年ぶり。 

 各新聞やTVの報道は、昨年12月に米シカゴに飛び、陸上ハンマー投げの室伏広治を指導する理学療法士ロバート・オオハシ氏のもとで10日間ラケットを握らず体幹トレーニングを積んだことを伝えている。錦織選手自身も「意外と疲れていないんです。トレーニングの成果がこんなに早く出るとは。ツアーに慣れてきたというのもあるし、確実に、強くなっている証しだと思います。体力面で大丈夫、というのは本当に力強いですね。」と語っている。

 また、ある新聞社の取材で興味深いことも語っている。昨年11月の上海の大会1回戦。0−6、1−4で負けかけた時に、自然と力が抜けたらしい。50〜60%の力でストロークすることで、腕に余分な力が入らなくなった。肘から先をしならせることが可能となり、力を入れなくてもボールが飛び、ストロークも安定したそうだ。昨日の試合後、錦織選手は、「この日も50〜60%ぐらいの力で打っていましたね。さすがに攻められて、緊張も多少はあったけど、リラックスしてストロークはできました。この形が通用して、勝てているわけなので、テニスがしっかりしてきたなとは感じています。これが世界のトップ4相手に通じるかは分からないですけど。」と語っている。

  戦後、松岡修造に続く日本人2人目の4大大会ベスト8の快挙。錦織選手の体力強化が注目されているが、その裏に本人が語っているように「脱力」があることは確かである。「脱力」とは「内力」の脱力である。決して、発揮される「力」を弱めることではない。

 錦織選手のショットに注目することにしよう。

 

2012年01月19日

「片踏み」と「歩み足」

 先日も「歩み足」について書いたのだが、武道(武術)では、左右の足を交差させる足さばきを「歩み足」と言う(普通に歩くような足さばきの意味だ)。現代剣道において、「歩み足」は特別な場合を除いては使用してはならない「足さばき」とされている。通常は送り足を用いる。例えば、右足を踏み出したら左足は右足を追い越してはならない。常歩による剣道を提唱して、様々な「足さばき」が可能になることを説いてきた。それ以来、「歩み足」による剣道が注目されるようになった。

 しかし、多少誤解があるように思う。合理的身体操作による「足さばき」とは決して「歩み足」だけではない。現代剣道の「送り足」も合理的な足さばきなのである。
 「送り足」や「歩み足」等は、下肢の動きでの分類だ。しかし、身体動作学の立場からいえば、四肢の動きから離れなければその要諦はわからない。一般的に現代剣道で「歩み足」と言われている足さばきは「片踏み」のことだ。右自然体(半身)のまま前進する。つまり、現在、剣道において「送り足」も一般的に解釈されている「歩み足」も同じ足さばきと言える。
 本来の「歩み足」というのは「片踏み」ではなく、左右の「単え(ひとえ)身」(半身)によって結果として現れる。右の「単え身」では右足が前に、左の「単え身」では左足が前に位置することになる。それが「歩み」に見えるだけだ。この左右の「単え身」による「歩み」を習得すると、実践者は全く歩みを意識しなくなる。

 表出する動作は「そうなるのであってそうするのではない」。

2012年01月14日

人類誕生の歴史と身体動作学

 身体動作を専門とするものとしては、人類誕生の歴史に関して非常に興味をひかれる。ヒトの動作の特性は、2足歩行を基礎としているからである。二軸動作の着眼点のひとつもそこにあった。

 ヒトとは、霊長類、真猿亜目、ヒト上科、ヒト科のHomo属のことである。以前は、ヒト科はHomo属だけと考えられてきたが、DNA研究の発展により、ヒト科にはチンパンジーなどのPan属やGorilla属が含まれるととらえられるようになった。

 霊長類は哺乳類であるが、主に樹上で生活をはじめたと言われている。現在、人間と最も近いのはチンパンジーである。DNA的には99パーセント同じである。チンパンジーと人類の共通祖先からの分岐は800万〜600万年前。樹上生活をしていた霊長類から直立2足歩行が可能な種が現れたのだ。これがヒトの誕生である。身体動作学の出発もここまでさかのぼることになる。身体の動作とは、言うまでもなく「ヒト」の動作であるからだ。チンパンジーも、二本足で立ち歩くこともできる。しかし、その状態を長く維持することができない。骨格が大きく違うためだ。主な違いには、以下のようなものがある。

 1.チンパンジーの背骨は頭骨の後ろについている。それに対し、ヒトは真下についているので、頭部を支えることができる。脊椎と頭蓋の連結部を大後頭口という。動作学からは大後頭口の位置は重要な観点である。

 2.ヒトの背骨はS字形に曲がっており、重量のある頭部を支えることができるようになっている。腰に重心が位置するようになっているのでバランスよく立つことができる。

 3.チンパンジーは大腿骨が骨盤から真下にむいているのに対し、ヒトの大腿骨は内側に向いている。これにより、上体を垂直に保っての歩行が可能である。二軸動作でいう「垂直感覚」の動きが可能になるのはこの大腿骨の角度による。

 4.チンパンジーの親指は足の内側についており、手のようなかたちをしている。歩行ではなく木の上での生活に適した形である。これに対し、ヒトは五本の指が足の前側に同じ方向についている。しかも「土ふまず」があり、体重を足の裏の3点でしっかり支えるようになっている。3点とは拇指球・小指球・踵部である。

 脊椎のS字状へ変化はなぜ起こったか。一説には、樹上生活で枝などにぶら下がったために、脊椎が伸びて徐々にS字状になったとも考えられている。地上で生活する種からは直立2足歩行が可能な哺乳類は生まれなかったのだ。

 地上にたったヒトは、当初は頭蓋容積が約750ml程度であったが、約100万年前にはホモ・エルガスターが現れた。頭蓋容積は1000ml程度、北京原人やジャワ原人などはこの時代のヒトである。その後、約40万年前にはホモ・ネアンデルターレンシスがあわわれる。俗に言うネアンデルタール人である。彼らは頭蓋容積は1600mlあり、ほぼ現代人と同じ容量を持っていた。

 さて、我々は20〜30年前に現れたホモ・サピエンスの子孫である。ホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルターレンシスは同時代に生存していたが、どういうわけかホモ・ネアンデルターレンシスは3万年前に絶滅している。ホモ・サピエンスは、アフリカやユーラシア大陸に広がっていた原人が、それぞれの地域で進化していったものだと考えられていた。 ところが1987年、とんでもない説が発表された。現在の人類の祖先は、29〜14万年前にアフリカに住んでいた、あるひとりの女性であったというのだ。

 これは、DNAの研究からでてきた仮説である。細胞内のミトコンドリアがもつDNAは、ヒトなど高等生物の場合、母親側からしか遺伝しないことがわかっているので、これを調べることで母方の先祖をたどることができる。そして、アフリカ人、アジア人、オーストラリア人、ヨーロッパ人、ニューギニア人からとったミトコンドリアDNAを比較して家系図をつくった結果、アフリカ人から他の人種が枝わかれしていったことがわかったのである。

 この説によれば、現在の人類は、20万年ほど前にアフリカに出現した新人から枝分かれしていった。世界各地にいた原人たちは、子孫を残すことなく絶滅したということになる。ちなみに、人類共通の先祖と想定されるアフリカ女性は、旧約聖書に登場する最初の女にちなんで「ミトコンドリア・イブ」と名付けられた。この説が正しいとすれば、その女性とは一体どのような経緯で現れたのであろうか。

 いずれにせよ、身体動作を専門とする立場からは、人類誕生の歴史は非常に興味深い課題である。

2012年01月11日

隠されていた空手

 「隠されていた空手」(桧垣源之助著・チャンプ)という著書がある。「桧垣源之助」はペンネーム。以前、何度かメールを交換させていただいたことがあるが、本名も、またどのような経歴の方であるのかも知らない。ただ、世界空手道選手権や全日本選手権、さらには数々の国際大会で優勝経験を持つ鈴木雄一氏が、「中学・高校と寮生活をともにした」と語っているところをみれば、本格的に空手の修行をされたであろうことは推察できる。

 さて、「隠されていた」とはどういうことなのか。真実はなぞのままであるが、以前から空手に関してはある興味深い話(伝説)がある。いくつかの流れはあるが、空手は沖縄から本土に伝えられたというのが定説である。ところが、船越義珍先生らが本土に「唐手」を伝えるにあたり、沖縄の唐手家の間で「秘密協定」があったと言われている。その「秘密協定」とは「ヤマトンチュー(大和人)には本当の唐手は教えない」「型は使えないようにして本土の人に教える」というものであった。本土で一般に広めた空手の型は使えないように改変されたものであったらしい。

 桧垣氏は船越義珍先生の高弟であった久保山紹山先生に師事しているが、ある逸話が紹介されている。日本に伝わった空手は、大学の空手部を中心に発展した。久保山先生によれば、船越先生が大学で教える空手と、夜に自宅で教える空手は全く違っていたという。「なぜ、昼と違うことを教えるのですか」という問いかけに、船越先生は「本当は教えてはいけないのだ」ということを言われたらしい。どの程度の拘束力があったかは分からないが、「秘密協定」があったとする伝説は信憑性がある。

 技や技術を改変しての伝承に違和感を持つ方も多いであろう。しかし、武道・武術の世界では目新しいことではない。武道(武術)の伝承形態は一子相伝だ。本来、武道(武術)の技は殺傷術である。よって、誰にでも教えてはならないという不文律があった。道場に入門してくる弟子にも、「型」は教えてもその「用法」や「操作」は教えなかったとも言われている。

 この一子相伝的伝承形態はスポーツにもあるのかもしれない。欧米人が自国の魂とも言えるスポーツ文化を、正直に東洋の小国に伝えたであろうか。

 そういえば、ある競技のオリンピックコーチの言葉を思い出す。「戦後の長い間、日本は欧米から嘘を教えられてきた・・・やっと気づきました。」

 外来スポーツの技術や習得法などを今一度見直す必要がある。

 

2011年12月15日

「単え身」の身体操作

ネイマール.bmp 昨日(14日)のトヨタカップ、サントス(ブラジル)対柏(日本)戦。度肝を抜かれた。ある新聞は「子どもが大人を子ども扱いした」と表現した。19才のネイマールにあのプレーを見せつけられては、ネイマールを子ども扱いはできないだろう。

 抜群のドリブルセンスと決定力を併せ持つことから、同サントスの伝説的選手ペレの再来と並び称される逸材。前半19分、MF大谷を鋭い切り返しでかわす。「ちょっと考えたけど、マークされてたからね」。しかし本当の見せ場はこの後だった。なんと利き足とは逆の左で、器用にカーブをかけてシュート。GK菅野が、1歩も動けないほどの精度で、ゴール左隅ギリギリに決めた。

 シュート直後の写真、着目すべき点が二つある。まずは、彼の左足関節が屈曲されたままであること。これはネイマールだけではない。インステップもしくはインフロントにみえるキックを、世界のトップは足関節を十分屈曲させたままで打つ。

 そして、彼の体幹を見ていただきたい。左右の股関節と肩甲骨の位置と内外旋が同調している。全く体幹がねじられていないのだ。この局面では、一般的には右肩が前方に位置する。この左右の股関節と肩甲骨の位置と同調は、左上腕の外旋でつくられている。

 全く体幹がねじられていない身体を「単え身(ひとえみ)」という。「単え身」は前近代日本の伝統的な「身体」のあり様だ。やはり、日本人の身体を見直す必要がある。

2011年10月26日

からだを捨てさること

 現在の身体運動(スポーツや武道)の考え方は、競技性や人間の陶冶(教育)におかれている。学校での体育活動をみれば一目瞭然。競技か教育か、その狭間でスポーツや武道が悲鳴を上げている。これらは容易には両立しない。

 合理的身体動作を「身体操作」というとすれば、その目的は何か。多くは競技性(パーフォーマンス)の向上やそこから派生する副次的な要素を目的としている。

 しかし、もう一つ最も吟味しなければならない目的がある。それは、身体を捨てさること。身体におよぼす力(パワー)を、私は「内力」と「外力」と説明してきた。あいていに言えば「内力」は「筋力」、「外力」は「重力」だ。しかし、実はもうひとつの「力」がある。それは武術でいえば「気」とか「意念」とか言われる。これら「気」や「意念」を概念という人もいるが、これらは概念ではなく実体だ。これらのパワーは、誰の「からだ」にも作用しているがほとんどの人は気づくことはない。なぜなら、「からだ」が「内力」や「外力」で動くととらえているからだ。「気」や「意念」の実感は、からだを極限まで合理化しそれを捨て去ることによってはじめて現れる。合理的身体操作を学ぶ真の目的はそこにある。

 よって、それらを知る方法は一つではない。スポーツや武道(武術)はその一方便でしかない。たとえば、座禅を組むのも同じこと。からだをある「型」に押しこめることによって、からだを捨て去ることを目的とする。合理的に静止することと合理的に動作することは同じことなのだ。人によっては日常生活を送ることによってその目的を達成しているかもしれない。

 スポーツの目的を「競技」か「教育」かととらえると動作の本質がわからなくなる。競技性や人間形成を離れた目的を見据える必要がある。

一本歯(後歯)下駄