剣道からなぜ「歩み足」が消えたのか?
剣道からなぜ「歩み足」が消えたのか?という課題を少し調べています。
稽古と剣道形は車の両輪と言われます。日本剣道形には現代剣道で多用される「踏みこみ足」による打突(斬撃)動作はありません。なぜ、剣道から「歩み足」による打突が消えたのでしょうか。
五輪書に
「足づかいは、ことによりて大小・遅速は在とも、常に歩むがごとし」
とあるように近世初期の剣術は「歩み足」が主体であったようです。
現在のような剣道具と竹刀を用いた「しない打ち剣道」が開始されたのは江戸中期です。正徳年間(1711〜1715)に直心陰流の山田平左衛門・長沼四郎左衛門父子が剣道具に改良を加えたことで急速に普及しました。しかし、当時の「足さばき」については、
「一メートル(三尺三寸)内外の撓(袋竹刀)を持って、進退は常の歩行のごとくした。」(堀正平『大日本剣道史』)
とあるように「歩み足」が主体であったことがうかがえます。「しない打ち剣道」の実践が「歩み足」の消失した主因ではないようです。
しかし、江戸後期に大石進が「長竹刀」を使用したことを契機に「足さばき」が変容していきました。大石進は筑後国三池郡(現在の福岡県大牟田市)に生まれ、幼少時よりタイ捨新陰流系の神影流や宝蔵院流槍術を学びました。従来の稽古に飽き足らず自ら剣道具に改良加えるとともに 5尺3寸(1.6メートル)もある長竹刀を考案したと伝えられています。1832年(天保3)江戸に出て長竹刀旋風を巻き起こし諸道場を撃破、一躍剣名をとどろかせました。
この大石の江戸出府による長竹刀の流行が「足さばき」に大きな影響を与えたといわれています。
「長竹刀になると柄も長くなったので、両手の間も多く開いて進退の時太刀先が動く。それを動かすまいとすれば窮屈である。故に自然順送り足で進退する様になった」(堀正平『大日本剣道史』)
というように「送り足」が多用されることとなりました。つまり、「長竹刀」を保持すると左右の手の間隔(グリップ)が広くなり歩み足では剣先が定まらないために「送り足」になったようです。
その後、講武所は竹刀の長さを3尺8寸に制限します。しかし、足さばきは「送り足」がのこり「歩み足」に戻ることはありませんでした。私自身の剣道実践から考察すれば、現代の3尺9寸以下の竹刀であれば「歩み足」による打突は十分可能だと思います。私はさらに「歩み足」の発現をうながすように3尺8寸5分の竹刀を使用しています。
「歩み足」の剣道を目指す方は竹刀と柄の長さに留意することが大切です。工夫してみてください。