スポーツの勝敗とは何か

2020-05-22
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 新型コロナウイルス感染症の影響で、今年のスポーツイベントが中止に追い込まれている。夏の風物詩「夏の甲子園大会」の中止も発表された。大会の中止に関しては賛否両論あると思うが、ここではスポーツにおける「勝敗」とは何かに触れてみたい。自粛ムードの中、スポーツの在り方を問いなおすいい機会なのかもしれない。

 上は大学の講義(スポーツ学概論)で用いているスライドである。一般的にスポーツでの勝敗のとらえ方は「優勝劣敗」である。「優(すぐれ)れているものが勝ち、劣っているものが負ける」ということが前提となっている。言い方を変えると「技術(パフォーマンス)が優れている方が勝ち、劣っていることが負ける」ということ。現在では当たり前になっている。

 しかし、武術(武道)に代表される日本の伝統的身体運動には別のとらえ方があった。それが「劣勝優敗」である。これは「技術(パフォーマンス)が劣っているものが勝ち、優れているものが負けることが多々ある」という考え方である。試合での結果は、その時にたまたま現れた現象であって、技術(パフォーマンス)の優劣とは直接関係がないというとらえ方である。

 例えば陸上競技で100Mを「10秒00」で走る選手と「10秒50」で走る選手がいるとする。「優勝劣敗」のとらえ方では「10秒50」で走る選手より「10秒00」で走る選手の方が技術(パフォーマンス)が高いとする。これはスポーツでは当たり前の考え方だ。しかし、日本の伝統的身体運動では、逆に「10秒50」で走る選手の方が技術(パフォーマンス)が高いことがあると考える。

 つまり、「技術(パフォーマンス)の高さと勝敗は一致しない」とする。「技術(パフォーマンス)の高さと勝敗は一致しない」のであれば試合で勝ったものを戦わせて優勝者を決めることは意味がないと考える。

 よって、明治期までの武道には「トーナメント試合」がない。優勝者を決める必要がないからだ。

 私は、この日本の伝統的な「劣勝優敗」の考え方こそ、今後のスポーツ発展に欠かせない考え方であると思っている。日常のトレーニングなどは「勝つため」ではなく「技を洗練させる」ためにある。「技を洗練させる」ことと勝敗(試合での勝ち負け)は関係がないことが前提となる。

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