昨日、ある武道に関する論文を拝読していました。テーマは「武道の必修化」について。最近、武道に必修化が話題となっているのです。(多くの人は知らないかも)

 2011年度から、中学校で武道(柔道・剣道・相撲・弓道・・・)が必修になります。目的は、礼儀や公正な態度および伝統文化に触れる機会を広げることらしい。武道における教育を語るときに、必ず第一義的にでてくるのがこれらのお題目。

 実は、私たちが見慣れている武道(柔道や剣道など)は本来の武道(武術)の姿ではありません。ご存知のように武道(武術)の近代化の歴史には2回の断絶があるのです。一度目は明治維新、二度目は第2次世界大戦の敗戦です。

 明治維新後の「武士道」的精神性をまとった武道も、敗戦後のスポーツとして復活を許された武道も、その本来のものではないのです。ここが肝心。

 「武道」の目的とされる「礼儀」や「伝統的文化」は戦前のそれをイメージしているように思えてならないのです。

 しかし、本来私たちが回帰すべき武道(武術)は、「武士道」という鎧をまとったものではなく、それらを脱ぎ捨てた武道(武術)ではないのか。

 戦前と同様に、維新前の武道(武術)が「忠君」イデオロギーなどをかかえていたと考えれば、これからの武道(武術)は過去への回帰ではなく、全く新しい武道(武術)なのかもしれません。その目的とするものは、武道(武術)の中核である技の洗練とそこから生み出される心法だと思われます。

 武道(武術)による人間形成(教育)とは、礼儀などの「統一化された行動様式」の習得ではなく、合理的身体操作(技)により内面の向上を目指すものだと思えてきます。

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