常歩(なみあし)剣道の試みは、現代剣道の合理性を追求することを基礎としてきました。古武術や古流剣術には、非常にすばらしい動作性がありますが、現代剣道とそれらの関連を考える場合には注意が必要であると思われます。  

 例えば、古流剣術から現代剣道へ、その技術が受けつがれていると解釈すると、ほとんどわからなくなり混乱します。 動作学的に言うと、古流剣術と現代剣道は別物です。ここに大きな問題があるのです。古流は動作の方向が「下方」と「後方」を志向します。現代剣道は「上方」と「前方」を志向します。現代剣道は動作が志向する方向は多くの「スポーツ」と同じです。動作性の考察からも、現代剣道はスポーツ化しているといえます。

 ただ、これらの動作性は、どちらがいいかというものではありません。剣道をしている方は、スポーツ的動作より、武道的動作が上位にあると思っている方が多いですが、それは動作の質が異なるだけで、どちらがいいとは言えません。  

 古流剣術と現代剣道を融合させようとすると、現代剣道の動作の価値観を変容させる必要があります。 少なくとも、打突後の前進(余勢)は「良くない動作」と規定する必要があります。昭和の天覧試合の動画をみてもほとんど余勢がありません。現代剣道が前方への移動を志向するようになって、完全に古流と剣道の動作が分離したと考えられます。

 現在、剣道人口の減少傾向がとまりません。その原因は、様々とりあげられていますが、その中核は「動作の合理性が失われつつある」ことだと思います。「試合の不公平感」であるとか「封建的な体制」なども原因であるといわれていますが、それは枝葉であると思われます。動作の合理性」が失われつつあることから無意識的に感じる身体の束縛感がその根底にあると思います。分かりやすくいうと「剣道をすると窮屈に感じる」のです。その感覚は、決して精神的な、言いかえると不可視的なものではなく、客観的身体から発現した感覚です。

 よって、現代剣道の合理性は、古流剣術からだではなく、あらゆるスポーツからも学ぶ必要があります。そして、現代剣道を変容させようとするのではなく、現代剣道の合理性を追求しなければなりません。

 現代剣道の目指すべき方向は、決して前近代の剣術や武術への回帰ではなく、全くあたらしい剣道の姿だと感じます。現代剣道の技術をさらに洗練させる方向性が見えてきます。

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