以前、バレエの専門家の方とお会いしことがある。その方のお父様は著名な剣道家であった。彼女は30年ぶりに、全日本の大学剣道大会を見学したそうだ。私に会うなり開口一番に発した言葉は衝撃的であった。
「剣道って、なんで汚くなったんですか。昔の剣道は美しかった・・・」
彼女は小さい時から剣道を見て育っている。そして、今はバレエの専門家として活躍されている。身体動作と芸術を観る目は本物だ。その彼女が、今の剣道は美しくないと言うのだ。
そういえば、私たちが若い頃は、「剣道が美しい」というのは先生方の褒め言葉だった。「君の剣道は美しい」と言われることが、最高に嬉しかった。
しかし、それから10年も経つと、「剣道が美しい」というのは、褒め言葉ではなくなった。「あの選手は、剣道が美しい(きれいだ)から試合に勝てないんだ」、「試合に勝ちたかったら、もっと剣道を崩して・・・」などと言われるようになっていった。
確かに、以前は、強い・弱い・勝つ・負ける、という他に、剣士たちの中に「美しい」という価値観が明確にあったと思う。そして、それは何よりも優先され、剣士たちが追い求めるものであった。
小田伸午先生が「一流選手の動きはなぜ美しいのか」(角川選書)を発刊された。確かに、トップ選手らの動作は美しい。今年はオリンピックが開催される。私も、開催を心待ちにしているひとりだ。私たちは、何を心待ちにしているのであろうか。自国の選手を応援したい。白熱した勝負を観戦したい。しかし、根源では、トップアスリートが表現する「動作美」を心待ちにしているのかもしれない。
動作だけではなく、真理は美しいものだ。「美」は「真」である。真理の追求と美の追求は一致する。「日本人の誇り」(藤原正彦著・文春新書)に「美」に関する一節がある。
「万物を切り刻んでいくと究極的にはスーパーストリングと呼ばれる震える弦のようなものになる」という「超弦理論」を提唱するエドワード・ウィッテン博士との会話が紹介されている。
「あなたの理論が正しいと実験や観測によって確かめられるのはいつごろになりますか」
「5百年たっても無理かもしれません」
藤原先生は驚いて、さらに尋ねた。
「そんな理論を正しいとあなたが信ずる根拠は何ですか」
「美しいからです。あれほど数学的に美しい理論が真理でないはずがないからです」
また、ニュートンも
「宇宙は神が数学の言葉で書いた聖書だ。神が書いたのだから美しくないはずがない」
と語ったとも伝えられている。
藤原先生ご自身も、
政治、経済から自然科学、人文科学、社会科学まで、真髄とは美しいものだ・・・。
と述べている。
私は、スポーツや武道などの身体運動文化は、決して勝敗が一義ではないと説いてきた。勝敗とは異なる、価値体系が存することも実感してきた。しかし、それが何かはかりかねていた。その根源と解決は「美」なのかもしれない。
この記事の最後に「一流選手の動きはなぜ美しいのか」の「あとがき」より文末の一節を引用させていただくこととしよう。
スポーツの主観と客観の織りなす美しさに、美(よ)き人生を重ねあわせ感じていただけたら、望外の喜びです。主観と客観の往復列車の乗り心地の美(うま)きことを祈っております。
(小田伸午)