2011年09月10日
「常歩剣道」を世に出して8年。近頃では、「常歩剣道」で検索されてHPに訪れる方も多い。ありがたいことだ。ただ、一つだけ危惧していることがある。それは、「常歩」が「なみあし」という読み方であるため、「常歩剣道」が特定な「足さばき(はこび)」を用いる動作形態であると誤解されていること。
「常歩歩行」という場合は、確かに歩様(歩き方)だ。しかし、「常歩(なみあし)」とは歩様ではなく、合理的な身体操作(からだの使い方)の考え方の一つ。同様に「常歩剣道」とは、ある特定な「足さばき(はこび)」を用いるものではない。
身体動作を研究して、今のところ分かったことは、個々の身体の状態によって動作のあらわれ方が異なることだ。ある身体操作法を習得しても、そこから表出する動作は、それぞれ違う。身体操作法というのは、スポーツや武道にあらわれる「動作」ではなく、その「原理」のこと。だから、「常歩(なみあし)」を習得しながら剣道を実践すると、それぞれの身体操作法の習得段階や身体の状態などによって、表出する「動作」は異なってくる。
「常歩(なみあし)」による剣道を実践すると、徐々に左かかとが接地する傾向にあるが、決して左かかとが接地しなければならないことはない。さらに、「歩み足」を多用できるようになるが、決して「送り足」が間違っているのではない。その剣士の状態によってあらわれる「足さばき(はこび)」は様々。2004年に「本当のナンバ常歩」(スキージャーナル社)を上梓させていただいた頃も、私自身「歩み足」を使っていたが「送り足」や「踏みこみ足」主体であった。現在でも使用している。
「常歩(なみあし)」の身体操作を習得するとともに剣道を徐々に変えること。決していっぺんに(断続的に)動作を変えないこと。その時点で、自分が最も抵抗がない「快感」のある動作をすることが大切だと考えている。
「正しい歩き方などない」と同様に「正しい足さばき(はこび)などない」のだ。
2012年02月21日
常歩(なみあし)剣道の試みは、現代剣道の合理性を追求することを基礎としてきました。古武術や古流剣術には、非常にすばらしい動作性がありますが、現代剣道とそれらの関連を考える場合には注意が必要であると思われます。
例えば、古流剣術から現代剣道へ、その技術が受けつがれていると解釈すると、ほとんどわからなくなり混乱します。 動作学的に言うと、古流剣術と現代剣道は別物です。ここに大きな問題があるのです。古流は動作の方向が「下方」と「後方」を志向します。現代剣道は「上方」と「前方」を志向します。現代剣道は動作が志向する方向は多くの「スポーツ」と同じです。動作性の考察からも、現代剣道はスポーツ化しているといえます。
ただ、これらの動作性は、どちらがいいかというものではありません。剣道をしている方は、スポーツ的動作より、武道的動作が上位にあると思っている方が多いですが、それは動作の質が異なるだけで、どちらがいいとは言えません。
古流剣術と現代剣道を融合させようとすると、現代剣道の動作の価値観を変容させる必要があります。 少なくとも、打突後の前進(余勢)は「良くない動作」と規定する必要があります。昭和の天覧試合の動画をみてもほとんど余勢がありません。現代剣道が前方への移動を志向するようになって、完全に古流と剣道の動作が分離したと考えられます。
現在、剣道人口の減少傾向がとまりません。その原因は、様々とりあげられていますが、その中核は「動作の合理性が失われつつある」ことだと思います。「試合の不公平感」であるとか「封建的な体制」なども原因であるといわれていますが、それは枝葉であると思われます。「動作の合理性」が失われつつあることから無意識的に感じる身体の束縛感がその根底にあると思います。分かりやすくいうと「剣道をすると窮屈に感じる」のです。その感覚は、決して精神的な、言いかえると不可視的なものではなく、客観的身体から発現した感覚です。
よって、現代剣道の合理性は、古流剣術からだではなく、あらゆるスポーツからも学ぶ必要があります。そして、現代剣道を変容させようとするのではなく、現代剣道の合理性を追求しなければなりません。
現代剣道の目指すべき方向は、決して前近代の剣術や武術への回帰ではなく、全くあたらしい剣道の姿だと感じます。現代剣道の技術をさらに洗練させる方向性が見えてきます。
2014年11月16日
「現代剣道は何か変だ・・・違うような気がする」
このように感じている剣士の方々は多いのではないでしょうか。私自身も、そのような疑問から剣道の技や動作を見直すことをはじめました。現代剣道の技や動作の複雑性は、他の武道(武術)の比ではありません。それは、日本刀から木刀そしてしない(竹刀)へとその媒介(武器)を変化させてきたからです。それぞれの媒介の特性を包含しながら、現在の剣道があります。
さて、左の剣士からアドバイスを求められたら何と回答しますか。
「左足が残っている、もっと早い時期にひきつけ方がいい」
とアドバイスするかもしれません。しかし、早い時期に左足を引きつけようとするとこの剣士は逆に打突できなくなります。すこし乱暴な表現をすると、彼は左足を後方に残すことによって打突しているのです。そして、その原理は現代の歩き方、つまり「現代的歩行法」にあります。
実は、現代剣道に伝わっている「教え」には、「現代的歩行」による剣道と「伝統的歩行」による剣道の「教え」が混在しています。決して「現代的歩行法」による剣道が間違っているのではありません。しかし、試合で十分な成果を上げておられない剣士や、現在のご自分の剣道に何か違和感があり、稽古の内容を変えたいと考えていらっしゃるならば「伝統的歩行」とそれを発展させた「常歩剣道」を実践してみてください。
「右・左・右・左」と歩きながら正面打ちを繰り返してください。ほとんどの剣士が左足前進で振り上げ右足前進で振り下ろすと思います。この打突動作が「現代的歩行」を基礎とした打突の原理です。なぜこのようになるのでしょうか。それは「現代的歩行」のある法則によります。その法則を「ローリングの法則」といいます。現代人は左足が出るときには左腰が前方に移動し右足が出るときには右腰が前方に動くのです。この「現代的歩行」で打突すると左足が前進するときに左腰も前進しますので「竹刀」を振り上げることに抵抗がありません。そして、右足前進時では右腰が前に出て左腰が後方に引かれるので左手が引手となって振りおろし動作となります。
しかし、「伝統的歩行」が基礎となっていると右足前進で振り上げ左足前進で振り下ろす方が抵抗がありません。「伝統的歩行」は、腰のローリングがなく腰が固定されています。右足前進時には左腰を前方に押し出す力が加わっています。ですから、右足前進時では左腰を押し出す力が働くために左で「竹刀」を振り上げる方が抵抗なく自然に感じられるのです。
このように「歩き方」によって剣道の打突動作の原理が全く異なってしまうのです。どちらの打突がいいとは一概に言えませんが、私は日本の伝統文化である剣道の特性を残すためには「伝統的歩行」を原理とした剣道を実践したいと思っています。
2015年02月17日
現代剣道で三所防御といって左こぶしを頭上にかかげて守る方法があります。
この防御方法は左こぶしが大きく外れて構えが崩れるために現代剣道では悪弊と言われています。この防御法の原理も右荷重で説明することができます。
まず、竹刀を持たずに立って両手を水平に横に上げてみてください。そして、両掌(てのひら)を下に向けてください。
次に、上の写真のように左の掌を上に向けてみます。重心はどうなるでしょうか。写真の剣士には、分かりやすいようにオーバーに動作してもらっています。左の掌を上に向けると、重心が左に移動し左足に荷重すると思います。よくわからない方は目を瞑ってみてください。
次に、左の掌をもとに戻して、右の掌を上に向けます。すると、右に重心が移動し右足に荷重してきます。カラダにはこのように腕と重心の法則があるのです。掌を上に向けるということは腕が外に回ることを意味しています。特に、重心の移動には上腕(肩から肘まで)が関係があります。上腕が外旋(外に回った)した側の足に荷重します。荷重した側の上腕が外に回る法則があるのです。
つまり、左足に荷重すると、左上腕は外旋し右上腕は内旋(内側に回る)する傾向にあります。右足に荷重すると、逆に右上腕が外旋し左上腕は内旋します。
さて、現在は左踵を高く上げて構える剣士が多いのですが、それは常に右荷重になりやすいことを意味しています。右荷重にななると右上腕が外旋(右の掌が上を向く)して左上腕が内旋(左の掌が上を向く)傾向になります。
右荷重で左の掌が下、右の掌が上に向けたまま両腕をカラダの前に移動させます。上の写真のようになります。その両掌の向きのまま竹刀を保持してください。
そうすると、上の写真のような保持の仕方になります。つまり右荷重で、右上腕が外旋、左上腕が内旋している状態です。そして、さらに右上腕を外旋、左上腕を内旋してみましょう。
現代剣道でよくみられる三所防御のかたちになります。三所防御は身体動作の観点からは、中段の構えから、右上腕が外旋し左上腕が内旋することによって現れる体勢です。これは右荷重が条件となります。
逆に、左荷重の構えを心がけていると、左上腕が外旋傾向になるので左拳が左に外れることが極端に少なくなります。構えを崩さないためには左荷重の構えを身につけることをお勧めします。