ワールドカップブラジル大会にみられる身体動作法

2014-07-10

 ワールドカップブラジル大会も、ドイツとアルゼンチンの決勝を残すのみとなった。サッカーの解説等はチームの戦術に言及しているものがほとんどだが、研究会では個々のプレーヤーの身体動作法にも目を向けている。

 今大会では、小田伸午先生(関西大学人間健康学部教授)のスタープレーヤーの身体的および動作特性に着目した記事が産経新聞に掲載された。小田教授が注目したのは、ドログバ(コートジボアール)の「水平感覚」ネイマール(ブラジル)の「忍びの術」メッシ(アルゼンチン)の「すり足走法」エジル(ドイツ)の「観の目」である。

 これらの身体動作法は、実は日本の武術などが保持していた「技」である。ブラジルの大敗によって、個々の資質よりもヨーロッパ型の戦術を重要視したサッカーが注目されそうな気配だが、それらを支えるのは個々の身体動作であることには変わりがない。

 スポーツなどの客観化された動作を「技術」という。それらが個々のプレーヤーに身についたものが「技能」。そして、さらに卓越された誰にも真似できない「技能」を「技」という。高いレベルの戦術は、この「技」の集合体である。世界のトップに近づくには、個々の「技」を洗練させることが不可欠である。

 それぞれの写真をクリックすると記事(産経新聞)がご覧いただけます。

絶対水平感覚

2014-06-26
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 日本のワールドカップブラジル大会(2014)は、予選4位という残念な結果で幕を閉じた。  

  第1戦のコートジボワール戦、本田選手の痛快なシュートで先制したが英雄ドログバの投入によって流れはコートジボワールへ。立て続けに2点を献上して逆転負け。  

 翌日、元Jリーガーの知人と電話で話をする機会があった。話題はコートジボワール戦に・・。  

  日本人は雨が苦手なんです。外国人選手、特にアフリカ系選手は芝がぬれていても、まったく滑らない・・・・」    

 雨天であったことも敗因の一つだったらしい。はたして、それほどまで違う「バランス感覚」とは何か。

 当研究会では、以前より「水平感覚」に注目している。「水平感覚」とは、身体が傾いても身体のイメージは水平を維持する感覚のことだ。  

 どんな困難な体勢でも「水平感覚」を保つ能力(感覚)を、私たちは「絶対水平感覚」と呼んでいる。日本人選手と彼らの違いは、この「絶対水平感覚」の有無によると考えられるのだ。

 この「水平感覚」を保持する身体的条件は頭部の保ち方にある。左右の目が水平ラインを崩さないこと。つまり、頭部を垂直に保ち続けることである。  

 よって、研究会では10年ほど前までは「垂直感覚」と名づけていた。しかし、その後「水平感覚」と呼ぶようになった。  

 そして、この「水平感覚」を身につけるには体幹をある状態に保つ必要がある。現在、盛んにおこなわれている体幹を鍛える「コア・トレーニング」。しかし、体幹を固めて強化するだけでは、逆に「水平感覚」から遠ざかる可能性があるのだ。  

 研究会では、次のワールドカップ、および東京オリンピックに向けて水平感覚」を含めたフィジカルリテラシーのプログラム開発に着手する話が進んでいる。

  

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集団行動と動作について

2014-04-17
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  集団の規律形成、連帯感や達成感の体験などを目的に、集団(行動)訓練を実施している団体は多いと思います。

  現代人のほとんどが、股関節・膝関節・足関節を伸展方向にアクセントがある「伸展動作(感覚)」による動きを得意としています。逆に「屈曲動作(感覚)」による動きは、それらの関節を屈曲方向に操作させます。「屈曲動作(感覚)」によって「内力」以外の「力」を用いた動きが発現すると考えられます。

 前近代の日本人は「屈曲動作」が得意であったと考えられます。先日、集団訓練を見ていたのですが、集団で動作を合わせるときには号令をかけます。その号令に動作を合わせるときに、関節が伸展する局面で合わせる傾向にあります。日本語を話していると強拍が得意になるので、さらに伸展にアクセントが来るように思えます。

 「伸展動作(感覚)」が主流になった主因は、明治以降の学校教育全般や体育による集団的動作かもしれません。服装や履物は、副次的な原因かもしれません。剣道なども、大勢で素振りを合わせるなどのことをやりだしてから本質から離れたのかもしれません。

 明治期初期に日本人が行進ができなかったのは、歩様やリズムの問題だけでなく「屈曲」にアクセントがある動作をしていたからとも考えられそうです。

暴力がなかった時代の運動文化を取り戻せ

2014-04-07

 先日、「勝利至上主義の功罪を問う」(毎日新聞)の記事を掲載しましたが、スキージャーナル社より剣道(武道)と暴力的指導についての取材を受けました。本来、武道が持つ文化性を取り戻すことが一つの解決法であると考えています。(記事全文のダウンロードは上記画像をクリックしてください)

人はなぜ歩くときに腕を振るのか?

2014-01-10
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 すこし古いですが、興味深い記事を発見しました。

【2009年7月29日 AFP】

 人はなぜ歩くときに腕を振るのか。科学者らを長年悩ませてきたこの疑問を解いたとする論文が、29日発行の「英国王立協会紀要(生命科学版、Proceedings of The Royal Society B)」に発表された。

 腕を振るには筋肉が必要であり、筋肉に食物エネルギーを供給する必要もある。それならばなぜ、歩くときにわざわざ腕を振るのか。「大昔に四足歩行をしていたときの名残だ」と説明する専門家もいる。

 今回、米国とオランダの3人の科学者は、人体を使った厳密な実験を行って謎の解明を試みた。

 チームはまず、腕振りにおける力と動きを検証するための力学モデルを構築し、10人の被験者に対して3種類の歩き方

「腕を普通に振る」

「腕と足を同期させる(右足を踏み出すときに右腕を前に振る)」

「腕は組むか体側にぴったり付ける」

 をしてもらい、代謝コストを測定した。代謝コストは被験者が呼吸によって消費する酸素とはき出す二酸化炭素から算出した。

 実験の結果、腕振りはマイナスよりもプラスに働いていることがわかった。

 たとえば、腕を振らないで歩く場合、肩の筋肉にわずかな回転・ひねりを加える必要が生じ、代謝エネルギーは腕を振る場合に比べて12%余計に必要となった。

 また、腕振りは、下肢筋肉のエネルギーの浪費につながる体の上下運動を抑制する働きがあることもわかった。腕を振らない場合、この上下方向の動きは63%も上昇した。

 腕と足を同期させる場合は、肩の筋肉を動かすエネルギー・コストは低減されるものの、代謝率は25%ほど跳ね上がった。

 研究を主導した米ミシガン大学(University of Michigan)のスティーブン・コリンズ(Steven Collins)氏は、

「腕振りは四足歩行の名残りと言うよりは、エネルギーを効率よく使って歩行するために不可欠な方法だ」

と話している。

「動作原理」という考え方

2013-12-24
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 拙書『日本刀を超えて〜「身体」と「竹刀」から考える剣道論〜』で考察したことの一つに「動作原理」があります。一般的に、私たちが動作も含めた「身体性」を考えるときに「身体特性」「動作特性」を考察します。「身体特性」とはその主体(人)の「からだ」であり、「動作特性」とはその主体が獲得した「技能」ともとらえることができます

 ですから、高いパフォーマンスを獲得するために体力トレーニング等によって必要な「身体特性」を獲得したり、スキルのトレーニングによって「動作特性」を習得します。

 しかし、武道(武術)の技の修得過程には「身体特性」「動作特性」の間に、それらを結びつける触媒的役割を果たすものがあります。それらを「動作原理」ということにしました。日常「姿勢」「歩行形態」また武術「型」などが「動作原理」にあたります。スポーツでは、一般に「動作原理」は独立しておらず「身体特性」「動作特性」に包含されています。

 優れた「動作特性」は、それを支える「身体特性」「動作原理」によって発現すると考えられるのです。そして、武道(武術)における「動作原理」は、それらを獲得することによって「身体特性」「動作特性」を高めることができるのです。 「姿勢」「歩行形態」「型」を修得する過程において、それらを支える「身体特性」「動作特性」が獲得されると考えれます。つまり、スポーツでは取り上げられることがない「動作原理」の獲得が武道(武術)の修行では中心的課題になっているのです。そして、この「動作原理」はスポーツにおいても機能すると思われます。

立食パーティーにおける水の入ったグラスの保持は立位姿勢の動揺を小さくする

2013-09-17
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 先日(2013年9月13日〜15日)、九州共立大学で開催されました「九州体育・スポーツ学会」において、大下和茂先生(筆頭発表者)・山口恭平先生(共に九州共立大学スポーツ学部)とともに「立食パーティーにおける水の入ったグラスの保持は立位姿勢の動揺を小さくする」のタイトルで発表を行いました。

 この実験は、3月の卒業謝恩パーティーの際に、大下先生との「なぜヒトは立って呑むのか・・・」という雑談から始まりました。その後、大下先生が学生を被験者として実験を行いました。対象者は女子学生37名。対象者は閉眼状態(目隠しをした状態)で20秒間の右足立ちを3分の休憩をはさんで2回行いました。2回目について、21名は(COM群)は同様の片足立ちを行い、16名(WA群)は180mlの水が入った250ml容量のグラスを左手で保持して片足立ちを行いました。各20秒間の中間10秒間の足圧中心点の平均動揺速度(COP-V)を算出しました。

 その結果、CON群においては有意な差が認められませんでした(平均9.78㎝/s・平均10.06㎝/s)が、WA群では、グラスを保持することで有意にCOP-Vがの低下が認められました(平均9.93㎝/s・平均8.80㎝/s,P=0.01)。

 この結果は、身体動揺がグラスを保持した手指から知覚され、COP-Vが小さくなった可能性を示しており、ヒトのバランス感覚の向上に応用できる可能性を示しています。例えば、高齢者が歩行時に杖を使用することも、杖により地面に支点をつくり安定をはかるだけでなく、杖を保持すること自体に姿勢を安定させる機能があるのかもしれません。

 今回の発表により、大下和茂先生は「若手優秀発表賞」を受賞されました。おめでとうございました。

屈曲動作と履物

2013-07-24
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 前近代の日本には様々な歩行形態があったことが分かってきました。現代人は、「歩き」というと、老若男女それほど違うとは感じてないかもしれませんが、江戸時代までの日本には、現代にはない「歩様」(歩行の形態)があったと考えられるのです。そのなかに「からだにやさしい歩き方」や「スポーツのパフォーマンス」の基礎となる「歩き」がありました。それは、「屈曲動作(感覚)」による歩きです。

 現代人のほとんどが、股関節・膝関節・足関節を伸展方向にアクセントがある「伸展動作(感覚)」による歩きをしているのに対し、「屈曲動作(感覚)」による歩きは、それらの関節を屈曲方向に積極的に動作させます。この「屈曲動作(感覚)」によって、可能な限り「内力」以外の「力」を用いた「歩行」が実現します。

 しかし、多くの現代人はこの「屈曲動作(感覚)」による歩きができません。「屈曲動作(感覚)」による心地よい感覚を体験できない方がほとんどです。

 その原因の一つが履物の変化です。昔の日本人は「草履」「草鞋」「足半」などを着用していました。これらの履物を着用すると、シューズの場合と違い、足趾(足の指)が屈曲(底屈)方向に動くのです。屈曲方向とは地面をつかむように動くことです。これは、これらの履物に鼻緒がついていることや、草鞋や足半が台座から足の指がはみ出すようにつくられていることによります。これらの構造により歩行時に足趾が地面をつかむように動きます。このことによって足関節も膝関節も股関節も屈曲方向にアクセントがある動きになります。

 スポーツ選手らを指導するときに、裸足になって歩いてもらいます。すると、ほとんどの選手は歩行のサイクルで足趾が屈曲(底屈)する局面がありません。足関節や膝関節を積極的に屈曲方向につかうことができません。すると興味深いことが起こります。ゆっくり走ることができないのです。

 五体治療院の小山田良治氏は「LSD」を提唱されています。「LSD」とはゆっくり走ることです。「Long Slow Distance」の略です。選手に歩くより遅い速さ(3.6Km/h程度)で走ってもらいます。すると足趾が屈曲(底屈)しない選手はゆっくり走ることができません。膝を上手く屈曲させて下腿を前に倒すことができないのです。ゆっくり走ることによって「屈曲動作(感覚)」の土台がつくられます。

 上の右下は、アシックスのVFT構造のシューズです。足趾が屈曲(底屈)するような構造になっています。

偏平足

2013-04-26
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 授業で足の話をしましたら、終了後学生が研究室をたずねてきました。陸上競技の投擲の選手です。彼は偏平足で悩んでいました。上の写真のように、全く土踏まずがありません。

 踵骨まわりの骨の位置関係が崩れているため、典型的な過剰回内足になっています。スネが内旋しています。しかし、男性ですので股関節の外旋が保たれ、膝頭はほぼ正面を向いています。しかし、この状態は膝に大きな負担をかけることになります。

 シューズの中に、高価なオーダーメイドのインソールを着用していました。内アーチを直接持ち上げるタイプのインソールです。しかし、アーチを直接持ち上げるタイプのインソールは、持ち上げている反作用で、アーチをさらに落とす結果になります。シューズを履いているときはいいですが、偏平足は改善されるどころか、ますます助長されます。

 これまで、何人もの方から、同様のご相談を受けてきました。考えさせられる課題です。

九州共立大学剣道部新入生歓迎試合

2013-04-13
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 九州共立大学剣道部新入生歓迎試合が行われました。本年度は男子10名、女子6名の16名の新入生を迎え、剣道部も40名を超えました。

 写真は、今年の一年生チーム、在校生と勝ち抜きの試合にのぞみました。これから4年間、九州共立大学剣道部で修行することになります。武道の稽古の基本は、お互い相対して感じあうこと。今年度は、できるだけ多くの学生と相対したい思います。指導者ができることは、環境をつくること。「楽之真也」、真剣にこころから剣道を楽しんでもらいたいと思います。

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 フェリーで新門司港から大阪南港へ、今回の移動の目的は自身の修論発表会なのですが、有元勝氏がボウリングの関西女子オープンに向かうとのことで、ご一緒いたしました。

 フェリーでは、同大会に向かう女子プロと遭遇・・、いつの間にかフィニッシュのアウトステップの話へ。女子プロの方は、何度も動作を繰り返しておられました。あらゆるスポーツで投球動作ではアウトステップする(インステップしない)ことが最近言われるようになっている。ボウリングでもアメリカのトップ男子プロなどはアウトステップに踏むらしい。アウトステップを可能にするのは、明らかにからだの左右操作の意識と感覚だと思います。

 それにしてもボウリング動作は興味深い、重いボールを扱うために、それぞれの身体操作が大きく働きます。他のスポーツで可視できない動作が表出してきます。ボウリングの方々とお話をしていると、「ボウリングは技術的に遅れている」と感じておられるようですが、そんなことはありません。他のスポーツでも大差ないと思います。そして、皆さんとても貪欲に新しい技術を求めておられるように感じます。私たちの実践がすこしでもお役に立てれば幸いです。

 先日、ボウリングプロコーチの有元勝氏をお会いしたことを記事にしました。その後、メールなどで交流しておりますが、ボウリング動作には、他のスポーツの動作を解くカギが含まれていることがわかってきました。

 ボウリングのボールは約7キロ、他のスポーツでは重いボールなどを扱う競技は、砲丸やハンマー投げ、やり投げなど、距離を競うものがほとんどです。コントロールはそれほど要求されません。ですから、いかにからだを効率よく回転させるのかということが主眼になってきます。

 しかし、ボウリングでは距離ではなく、ボールのスピード(威力)とピンポイントのコントロールが要求されます。そういう意味では、とても特異な競技と言っていいでしょう。

 重いボールを投球する際にはあらゆる方向に回転が加わります。この回転はすべてのスポーツでみられるのですが、一般には、シューズと地面の摩擦などでその回転トルクを補償してしまいます。ですから、プレーヤーもコーチもほとんど意識しなくても問題はありません。しかし、ボウリングではその回転トルクをいかに補償し安定させることができるかでコントロールが決まってきます。この回転トルクを補償する動作は、他のスポーツにも応用できると考えられます。

 有元コーチは、外国人選手の分解写真を分析するなどして、独自のコーチング技術を開発されているようです。ご自分ではプロ選手のご経験はありませんが、現在では多くのプロ選手から師事され全国を回ってコーチングをされています。有元コーチが多くの選手に知られるようになったきっかけが、「川添え将太と挑む世界トップ(PBA)ボウリング」です。有元コーチのボウリングに対する情熱が伝わってきます。

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 サッカー男子、日本はエジプトにを3−0で完封。なでしことともに4強に進出した。

 前半14分、MF清武のクロスを受けたFW永井謙佑(23=名古屋)が右足で先制ゴール。後半にはDF吉田麻也(23=VVV)、FW大津祐樹(22=ボルシアMG)も続き、突き放した。

 68年メキシコ大会以来の4強進出。次戦に勝てば、銀メダル以上が確定する。負けても3位決定戦で銅メダルの可能性が残る。 

 この快挙は、なでしこのワールドカップ優勝の影響が大きい。なでしこのワールドカップ優勝時にも記事を書いたのだが、現代の若者が育った背景が、もはや昔のものではなく、サッカーのような連続動作に対応する身体特性と、そこから生まれる動作特性が可能になっているのかもしれない。そして、なでしこの世界一で、サッカー選手、関係者、そして応援する我々のサッカーに対する心理的障壁が外れたのだ。なでしこの世界一は、日本サッカーが世界で通用することに覚醒した瞬間だった。その後の日韓戦の記事のように、日本男子サッカーが世界一に輝く日が近いのかもしれない。

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 ロンドンオリンピックも前半戦が終了。いよいよ、陸上競技がはじまる。日本選手の活躍に一喜一憂する毎日だ。水泳はメダルラッシュ、体操競技では、団体戦でのミスを帳消しにし、個人総合で金メダルを獲得した内村航平選手の精神力には驚かされた。後半戦の日本選手の活躍も楽しみである。

 さて、柔道競技では判定が覆る事態が発生、体操競技でも日本コーチの抗議によって団体で銀メダルをが確定、バドミントン女子ダブルスでは「無気力試合」により4組8人の選手が失格となった。

 武道を実践している立場からは、これらの事態は競技スポーツの限界が見えてくる。競技とは客観的な優劣によって勝敗を決定する。客観的な優劣とは、言うまでもなく可視的な優劣である。しかし、武道は元来、客観的な優劣とは別の価値(評価)体系を持つことを特性とする。その一つが、技の洗練度である。武道の修練は技の精度を上げていくことだ。これはスポーツも同様である。しかし、武道では、その技の洗練度と可視的な優劣は必ずしも一致しないことを前提とする。よって、勝負に勝つことは、決して第一義とはならない。日本の伝統的身体運動文化をみると、勝敗にはそれほど固執していなかったことがわかる。勝敗よりも技の洗練度(完成度)を課題とした。著書にも紹介したのだが、日本の「水錬」には、明治時代に競泳が入ってくるまでは、速く泳ぐという観点はなかった、速さという客観ではなく、それぞれの泳法を極めることを目的とした。

 柔道では、相手の背中の大部分が畳に接することが「一本」の条件である。よって、競技としての柔道は技の洗練度よりも、相手の背中を畳に接することが第一義となる。20年ほど前に九州の著名な柔道家(当時80歳代であった)とお話をさせていただくことがあった。

「技が完全にかかると相手が回転しすぎて、背中から落ちないことがある。現在のルールでは一本ではないが、技の完成度から昔は一本と判定する審判も多かった・・・・」

 さらに、武道の技の洗練は、その目的を相手を殺傷することから、自身および自他を統一することに向かうことになる。よって、その技の評価は、相手への作用も超えることとなる。つまり、「相手を打っても打たなくても」・「相手の背中が畳に接しても接しなくても」・「矢が的に当たっても当たらなくても」、その技は同等の評価を得ることとなるのだ。柔道の試合を見ながら、武道の「競技化」の限界とともに、客観的優劣を離れることはないであろう競技としてのスポーツの限界もみえてくる。

 先日から、有名剣道家の不祥事が伝えられた。「剣道は人間形成が目的なのに・・・」という論評が聞こえてくる。しかし、批判を恐れずに言えば「武道によって人間形成がなされる」というのは錯覚だ。さらに正確に言えば、「武道の技術性の修練によって人間形成をがなされる」ことはない。

 武道(剣道)の修練によって形成される人間とは、どのようにイメージするであろうか。「武士的な人格」というようにイメージするかもしれない。武道を真面目に取り組むことによって「道徳的精神性」や「伝統的行動様式」が身についた武士のような人間をイメージするであろう。ところが、武道の修練によって、そのような人格が形成されるのではない。昔の武士は、生まれながらにして「武士的な人格」が形成されるように教育を受けていた。「武士的な人格」を持った人間が剣術(剣道)などの武道を修錬していたと考えるのが自然である。

 「武道をすれば人間形成がなされる」と感じるのは、武道の修行体系に多くの「統一化された行動様式」が含まれるからである。例えば、道場への入り方、整列の順番、正座の仕方、稽古前の礼法などだ。これらの「統一化行動様式」、つまり稽古のための決まりごとが多いために、私たちは「武道をすれば人間形成がなされる」と錯覚するのだ。

 よって、剣道(武道)によって人間形成がなされるためには、技術の修練の周辺、つまり稽古の前後などで、人間としてまたは武道家としての心構えを教授する必要がある。この武道の技術構造と人間形成の関係を理解しないと、明治時代に文部省が何度も指摘しているように、剣道(武道)の修練によって「粗暴な人格」をつくることになりかねない。

 武道によって人間形成がなされるというのは、「武道によって人間形成がなされることが望ましい」という逆説的な意味なのかもしれない。「逆説の武道(剣道)観」が必要である。

 先日(2012年7月16日)、NHK放送の「ミラクルボディー」において、ケニア・エチオピア勢のマラソンランナーについての内容が放映された。翌日の、このHPへの検索ワードの第1位は「フォアフット」、第2位が「フォアフット走法」。この二つで全体の半数近くをしめる。以前、フォアフット走法が注目されてたときに書いた記事にも、この半年、多くのアクセスがあったのだが、昨日は異常に多かった。「ミラクルボディー」をご覧になった方々が検索されたものと思う。

 先日の「プレミアム」に配信したのだが、今回は同様の内容を記載する。先日の放送では、ケニヤやエチオピアのトップランナーがフォアフット(前足部)から接地していることが強調されていたが、結論から言うと、日本人ランナーが彼らの真似をすることは難しい。まず、黒人選手と骨格が異なることを無視している。黒人選手の骨盤は著しく前傾している。そのために、走行中の体幹に対する足部の位置関係が異なる。(接地位置とタイミングが異なる)

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 実は、江戸時代の飛脚も前足部で着地していたと考えられる。現在のランナーのような走りとは違っていた。シューズがなく、道路事情もはるかに悪かった当時は、ヒールコンタクトは危険であったのかもしれない。そして、飛脚のフォアフット着地を可能にしていたのが、「担ぎ棒」である。「担ぎ棒」の使用により、体幹自体を前傾させていた。それでも、資料によると現在のマラソン選手の5割程度の速さだ。

 また、黒人選手は足関節の可動域が狭い。日本人ランナーがフォアフット走法を試みると、脹脛の筋群を使用して足部を伸展方向に支える必要がある。黒人選手はフォアフットしているのではなく、自然とフォアフットになるものと解釈すべきだ。また、フォアフットというと誤解を生む。高速度カメラの映像ではフォアフットから着地してるが、フラットととらえてよい。踵は接地している。さらに、腱の強(硬さ)が異なる。日本人選手がマラソンにおいてフラット着地(フォアフット傾向)に耐えるだけの腱を保持しているかどうかは疑わしい。

 私たちは「動作特性」にばかり目が行きがちだ。しかし、その「動作特性」を支える「身体特性」を見据える必要がある。 昨日の放送で、また多くの日本人ランナーがフォアフットを試みるであろう。負傷しないことを祈らざるを得ない。 

以前のフォアフット記事

 常歩(なみあし)走歩行には、順回転と逆回転があることをご存知でしょうか。私たちが公表している常歩(なみあし)は逆回転常歩です。肩や腕(手)が進行方向に対してタイヤが逆に回転するように動作します。しかし、車のタイヤが回るように順回転する常歩もあります。神戸のKCC(神戸新聞文化センター)での講習では、順回転から逆回転に移行したほうが分かりやすいという受講生からの声が多くありました。

 (順回転常歩=ネット内講座より)

 上の動画をご覧ください。順回転の常歩(なみあし)です。この順回転から逆回転に移行していきます。しかし、最近、この順回転も独立した走歩行の一つではないかと考えるようになりました。

 剣道の打突動作理論で、森田文十郎先生が「対角線活動」ということを提唱されました。「対角線活動」とは、一般には、上肢と下肢の関係と理解されています。右足と左手、左足と右手が同方向に動くということです。しかし、森田先生の著書を読み込むと、その原理は上肢と下肢の関係ではなく、骨盤と上肢の関係を言われています。

 右腰と左上肢、左腰と右上肢の関係です。つまり、腰(骨盤)の動きによって同側の手足が同時に同方向に動く走歩行が出現することを示唆しています。着地足側の腰が前進する走歩行は、まず順回転をトレーニングするといいと思います。そして、ひょっとすると、重心の移動を会得すれば、順回転も合理的な走りになると考えられます。どなたか、試していただける方はおりませんでしょうか。

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 今日は剣道実技の授業。スポーツ学部の剣道部員に、膝の抜きでの後退を伝授。右自然体の中段の構えから、右膝を抜きつつ後退します。今日は、稽古着・袴ではなく、体操服(ジャージ)を着用してくるように指示していました。

 女子部員の右の膝がスムーズに抜けません。「膝を見せてみろ〜〜」。足先を前方に揃えて立ってもらいました。写真では、少しわかりにくいですが、右の膝だけ、約45度内側に・・。つまり、右の股関節だけ内旋位にあることを意味します。

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 次に、左右の膝頭を正面に向けさせると、上の写真のように、右足先だけ45度外を向きます。右だけ、著しい膝下外旋です。

 「小さいころから、どんな座り方をしてきたかやってみて〜」・・・。

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 予想通り、左股関節を外旋、右股関節を内旋させた、横座りでした。この選手の場合、左股関節は正常なので、左を多少外旋させた構えから、素早い打突が可能です。しかし、もし左が同様に内旋位にあると、とても打突がしにくいと思われます。

 日頃、選手たちは袴を着用していますから、下肢の状態が把握しにくいですが、袴を着用させないでの指導も大切だと痛感しました。右の膝下外旋を補うストレッチを指導しました。

 以前、二軸のサッカーを積極的に取り入れて、インターハイに出場し名門復活した「浦和南高校」の記事を掲載しました。当時、コーチをされていた福島先生が、現在、熊谷高等学校で体育科でサッカーがご専門の高田優二先生とともにサッカー部をご指導されています。 私の知る限り、二軸にトレーニングをチームに取り入れてもっとに成果をあげられている指導者のお一人です。先生から嬉しい報告がありました。

 熊谷高校のサッカー部では、3年生が1500mで5分を切る者が続出しているみたいです。さらに、一見、手を抜いているように見える(らしい)2年生からは、4分50秒を切る者が次々と・・・・・。2年生の中には去年よりタイムが1分速くなった子もいるとか。

 1人のサッカー部員が福島先生に

「先生、2軸で走ると長距離も速くなるんですか?1500m走ってもあまりくたくたになりません。去年は走り終わった後に気持ち悪くなるほど疲れました。」

と報告してくれたとか。サッカーの方も効果はてきめんで、1年生と上級生を比べると、上級生は力みのかい動きだそうです。

 上の写真をクリックしてください。熊谷高校サッカー部のHPにジャンプします。

 以前、バレエの専門家の方とお会いしことがある。その方のお父様は著名な剣道家であった。彼女は30年ぶりに、全日本の大学剣道大会を見学したそうだ。私に会うなり開口一番に発した言葉は衝撃的であった。

「剣道って、なんで汚くなったんですか。昔の剣道は美しかった・・・」

 彼女は小さい時から剣道を見て育っている。そして、今はバレエの専門家として活躍されている。身体動作と芸術を観る目は本物だ。その彼女が、今の剣道は美しくないと言うのだ。

 そういえば、私たちが若い頃は、「剣道が美しい」というのは先生方の褒め言葉だった。「君の剣道は美しい」と言われることが、最高に嬉しかった。

 しかし、それから10年も経つと、「剣道が美しい」というのは、褒め言葉ではなくなった。「あの選手は、剣道が美しい(きれいだ)から試合に勝てないんだ」、「試合に勝ちたかったら、もっと剣道を崩して・・・」などと言われるようになっていった。

 確かに、以前は、強い・弱い・勝つ・負ける、という他に、剣士たちの中に「美しい」という価値観が明確にあったと思う。そして、それは何よりも優先され、剣士たちが追い求めるものであった。

 小田伸午先生が「一流選手の動きはなぜ美しいのか」(角川選書)を発刊された。確かに、トップ選手らの動作は美しい。今年はオリンピックが開催される。私も、開催を心待ちにしているひとりだ。私たちは、何を心待ちにしているのであろうか。自国の選手を応援したい。白熱した勝負を観戦したい。しかし、根源では、トップアスリートが表現する「動作美」を心待ちにしているのかもしれない。

 動作だけではなく、真理は美しいものだ。「美」は「真」である。真理の追求と美の追求は一致する。「日本人の誇り」(藤原正彦著・文春新書)に「美」に関する一節がある。

 「万物を切り刻んでいくと究極的にはスーパーストリングと呼ばれる震える弦のようなものになる」という「超弦理論」を提唱するエドワード・ウィッテン博士との会話が紹介されている。

「あなたの理論が正しいと実験や観測によって確かめられるのはいつごろになりますか」

「5百年たっても無理かもしれません」

藤原先生は驚いて、さらに尋ねた。

「そんな理論を正しいとあなたが信ずる根拠は何ですか」

「美しいからです。あれほど数学的に美しい理論が真理でないはずがないからです」

また、ニュートンも

「宇宙は神が数学の言葉で書いた聖書だ。神が書いたのだから美しくないはずがない」

と語ったとも伝えられている。

 藤原先生ご自身も、

政治、経済から自然科学、人文科学、社会科学まで、真髄とは美しいものだ・・・。

と述べている。

 私は、スポーツや武道などの身体運動文化は、決して勝敗が一義ではないと説いてきた。勝敗とは異なる、価値体系が存することも実感してきた。しかし、それが何かはかりかねていた。その根源と解決は「美」なのかもしれない。

 この記事の最後に「一流選手の動きはなぜ美しいのか」の「あとがき」より文末の一節を引用させていただくこととしよう。

 スポーツの主観と客観の織りなす美しさに、美(よ)き人生を重ねあわせ感じていただけたら、望外の喜びです。主観と客観の往復列車の乗り心地の美(うま)きことを祈っております。 

                                       (小田伸午)

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